(17)笑顔に何度も救われた
2020/02/19 08:02
アルバムを繰り、長男虎徹君への思いを語る佐々木由香さん=宮城県登米市
私たちは宮城県北部の登米市にいる。東日本大震災の津波で長男虎徹君=当時(2)=を亡くした佐々木由香さん(38)の話を聞いている。
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佐々木さんは大震災の約2年後に離婚し、仮設住宅に1人で暮らした。酒の量が増え、毎日のようにリストカットを繰り返した。その頃に出会ったのが、今のパートナーの男性だった。一回りほど年上で電気設備業を営んでいる。
津波で息子を失ったことは直接伝えなかったが、誰かから聞いたらしい。
「俺は子どもを亡くしたことがないから分からない。けれども生きなきゃいけないんだ。虎徹とともに生きろ」。その言葉が心に響いた。
「ほかの人は『もう返ってこないから、先を生きなさい』と言うけれど、あの人は『ともに生きろ』だった。これ、全然違う言葉なんですよ。息子のために生きなきゃって思えました」。そう言って、少し笑顔を浮かべる。
◇ ◇
落ち込んだ心を支えてくれた人はほかにいましたか?
私たちの問いに佐々木さんは考え込み、棚に置かれた息子の写真に目をやった。震災の少し前に撮った笑顔の一枚だ。「やっぱり、写真の虎徹ですかね」と答える。
津波に流され、携帯電話はだめになったが、中のSDカードの写真記録は取り出せた。「この笑顔に何度も救われました。虎徹が笑っているのになんで自分は泣いてるの、泣いていたらだめだって」
そう言って、佐々木さんが私たちに分厚いアルバムを見せてくれる。震災の2カ月ほど後に整理したという。
表紙をめくる。生まれて間もない頃の虎徹君の写真が貼られ、誕生日や体重が記されている。ページを繰ると、写真の中の虎徹君が成長し、表情も豊かになっていく。
「記憶は徐々に薄れます。髪のにおい、肌の手触りって分からなくなってくる。写真を見て思い出すんです」
佐々木さんの言葉に私たちは何も言えなかった。
◇ ◇
パートナーの男性と通大寺住職の金田諦應(たいおう)さん(63)。2人とも、悲しみに寄り添ってくれた。
「でも、最終的に1番は息子なんですよね。パートナー、金田さん、そして息子。このトライアングルに支えられました」