(9)闘病、命閉じるため海渡る

2020/05/11 09:01

父親がスイスで自殺ほう助を受けて亡くなった傅俊豪さん=台北市

 私たちは、台北市の台湾テレビのすぐ裏にあるマンションを訪ねている。バスケットボールの選手で、引退後はスポーツキャスターとして活躍した傅達仁(フーダーレン)さんの遺族に会うためだ。

 膵臓(すいぞう)がんを患った達仁さんは2018年6月、スイスに渡り、医師の手を借りて自らの命を閉じた。85歳だった。スイスでは医師の自殺ほう助が法的に認められている。
 私たちの取材の申し込みに、達仁さんの息子、俊豪(ジュンハオ)さん(30)が応じてくれた。
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 マンションの部屋には、達仁さんが闘病生活を送ったベッド、自身で描いた絵画などがそのまま残されていた。クローゼットには愛用した洋服がつるされている。
 俊豪さんがリビングのソファに腰掛け、父親の病気の経過を話し始める。
 ステージ4の膵臓がんが分かったのは、17年6月のことだった。80代半ばに差し掛かり、高齢のため手術や抗がん剤治療には耐えられないと、医師は判断した。日を追って、痛みを抑える医療用麻薬の量が増えていく。
 台湾では、本人の意思で延命治療を中止したり控えたりすることができる法律が整備されている。しかし、安楽死は認められていない。
 達仁さんは家族に「安楽死ができる方法を探してほしい」と頼んだそうだ。そして、「一日でも長く生きてほしい」と反対する息子の俊豪さんたちに、「君たちを困らせないためなのに。このままでは君たちに迷惑をかけてしまう。なぜ、分かってくれないのか」と訴えたという。
 結局、達仁さんは、自身で友人を通じてスイスの自殺ほう助団体「ディグニタス」に連絡を取り、会員登録をする。17年11月には初めてスイスに行き、医師と面談した。
 その後、台湾にいったん戻ったものの、体調は悪化の一途をたどる。けいれんし、意識を失うこともあった。
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 そんな日々を振り返りながら、俊豪さんが私たちに言った。「父は死は怖がっていなかったが、痛みを怖がっていた。私たちは父が衰弱していくのを見ながら、少しずつ安楽死に対する考えが理解できるようになりました」
 そして、パソコンを開き、動画を見せてくれた。

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