「茉莉子さん、顔がどす黒かった」 尼崎連続変死一問一答
2015/01/27 10:22
尼崎連続変死事件で、角田優太郎被告(28)の裁判員裁判第17回公判が14日、神戸地裁であった。2008年に尼崎市のマンションのベランダ物置に監禁され、死亡したとされる仲島茉莉子さん=死亡時(26)=に対する殺人、監禁事件、安藤みつゑさん=同(67)=に対する監禁事件の審理があり、証人として茉莉子さんの夫康司被告(45)が出廷した。
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康司被告と検察官の主なやり取りは次の通り。
-茉莉子さんは08年12月上旬に亡くなったが、どこで。
「マンションのベランダの物置の中で」
-どうして。
「(角田)美代子(元被告)に入れられていた。虐待されて亡くなった」
-いつから入れられていた。
「7月ごろ」
-茉莉子さんは1人で入っていた?
「僕と一緒に」
-どうして。
「一緒に6月初めに東京や僕の実家がある沖縄へ逃げたから。それまで食事制限や睡眠制限、排せつ制限、殴る蹴るなどの虐待を受けていて、嫌になって2人で逃げた」
-でも見つかった。
「僕の兄が美代子に尼崎まで呼びつけられて、(2人を)かくまっていることを言ってしまった」
-美代子元被告は沖縄であなた方を見つけ、どうした。
「怒ってた。僕の方に走ってきて『返せ』と僕に貸していた杖を取り上げた。茉莉子には服をまくし上げてブラジャーを引きちぎった」
-どこで。
「コンビニ。友人宅近くの」
-回りは知らない人もいた。
「たくさんいたけど、そんなことは関係なしに」
-7月6日ごろに連れ戻され、2人で物置に入れられた。物置では自由にしてられた?
「正座させられた」
-他の人はどうやって物置の中を確認していた。
「僕らが入ってから1週間ぐらいで、監視カメラが付けられた」
-部屋のモニターで見ることができた。
「はい。物置は外から鍵もついていた」
-あなたは物置から出されたり、入れられたりしていた。茉莉子さんは。
「(亡くなるまで)出ることはなかった」
-全く外出することはなかった。
「そうではない。角田家はパチンコが好きで、パチンコのいい台を取るため、整理券取りに並ばせていた。あとは逃げられないように免許証を返納に行ってたし、カードや携帯電話を契約するときも外に出ていた」
-なぜ免許証を返納させるのか。
「茉莉子が逃げたときに、仕事を探したり、アパートを借りたりするのに、免許証が身分証になるから。それをできなくするため」
-カードや携帯は。
「支払いを滞納させる。そうすれば逃げた後も契約できない」
-安藤さんはいつ、どこで亡くなった。
「11月10日ごろに物置で。入れられてから3~4日後だった」
-どうして物置に。
「瑠衣(被告)と優太郎(被告)の子どもに手を上げたからと聞いた」
-亡くなったのはどうやって気付いた。
「外出先から帰ってきて、美代子に(物置に)連れて行かれて、直接見た。正座で、うつぶせというか、前のめりになっていた。びっくりした」
-どう思った。
「美代子に逆らったら、こうなるっていうことをあらためて認識した」
-そのとき茉莉子さんは。
「物置にいて、顔はどす黒かった。首筋や顔の輪郭を見て一目でやせていると分かった」