仲島被告「次郎さんの目、閉じさせた」 尼崎連続変死、被告人質問の詳報

2015/02/20 19:35

 尼崎連続変死事件で、仲島康司被告(45)の裁判員裁判第11回公判が20日、神戸地裁であった。2011年7月に亡くなった橋本次郎さん=当時(53)=事件の審理で、前日に続き、検察側の被告人質問があった。

 19、20日の検察官と康司被告の主なやり取りは次の通り。
 -当時、角田家での次郎さんの立場について。年下の人にも「次郎」と呼び捨てにされていた。
 「そうです」
 -角田家のメンバーで、次郎さんの待遇をランク付けすると。
 「一番下だったと思います」
 -次郎さんは11年の7月25日未明から物置に監禁され、7月27日の日中に亡くなった。原因はあなたたちが虐待して衰弱させたからということで間違いないか。
 「間違いないです」
 -角田美代子元被告や李正則被告と一緒に、あなたも手錠やロープなどを使って縛った。
 「しました」
 -亡くなるまでに5、6回縛り直したということだが、どうして?
 「次郎さんがロープを緩めて楽な姿勢を取るので、縛り直しました」
 -監禁中、あなたと美代子元被告、正則被告が暴力を振るっていたのはどんな暴力か。
 「縛り直すためにロープを解いた時、美代子が集中的に暴力を振るっていました。僕とマサ(正則被告)は、縛っている最中に次郎さんが動くので、頭を殴ってました」
 -物置の内部のこと。11年7月当時の気温や湿度は。
 「暑かったですね。次郎さんは汗ばんでいたと思います。縛り直す時に体に触れたら、ヌルヌルしていた」
 -物置で、次郎さんは飲食できていたか。
 「多分全くしていなかったと思います」
 -監禁の経緯について。次郎さんが角田家で同居していた少女にいたずらをして、それを知った美代子元被告は次郎さんを怒鳴りつけたと。何と言っていたか。
 「『次郎やったるわ』とか『ただでは済まん』とか、そういうことを言ってました」
 -これまでの怒り具合と比べて。
 「逆に冷静というか。マサが次郎さんを殴ったのを止めていたし、物静かに考えているような感じでした」
 -この少女は美代子元被告がかわいがっていた。その子にいたずらをすれば、美代子元被告が激怒するのは当たり前の話では。
 「虐待されると思いましたね」
 -自業自得という気持ちもあったか。
 「やむを得ないですね、やっぱり」
 -物置に入れた後、手錠はどこにはめた。
 「後ろ手にして掛けました」
 -ロープで体のどこを縛った。
 「脚。正座させ、足首から太ももにかけて、2周くらいさせました」
 -重しも使った。
 「後ろ手に掛けた手錠と、鉄製の重しを、ひもでくくりました」
 -次郎さんの服装は。
 「初めは、Tシャツとボクサーパンツでしたね」
 -初めに縛ったのが7月25日の午前1時ごろ。その日の朝になって、また様子を見に行った。
 「ロープを緩めて脚をくずし、楽な姿勢を取っていました。美代子は『こいつ、こんな楽するんや』『もっときつく縛れ』と」
 -25日夜にも縛り直した。この時はタオルも使った。
 「タオルを切って口の中に入れ、ガムテープを巻きました。天神祭に出掛ける前で、美代子が『誰も家にいなくなるからしゃべったら困る』と」
 -縛り直すたびに、どんどんきつくなっていった。
 「そうですね。美代子がロープを触って、緩んでないか確かめていました」
 -この時の次郎さんの様子は。
 「ぐったりしていました。声も出ていなかったように思いますね。殴られた時には『すいません』『ああ、姉ちゃん(美代子元被告のこと)勘弁して』みたいなことは言っていた。表情もきつそうでした。汗ばんでましたし、縛った痕が赤くなって、あざもありましたね」
 -最後に生きている姿を見たのは。
 「26日の夜です」
 -体の様子は。
 「傷が無数にありました。おむつを履き替えさせる時にふらついて、横の壁にぶつかった。美代子が『何をふらふらしとんじゃ』とか言ったら『大丈夫です』と弱々しく言ってましたけど、このまま続いたら死ぬんじゃないかと思いましたね。美代子は蹴ったり、サンダルで顔を殴ったり激しく暴行してました」
 -27日の朝方、次郎さんはまだ生きていた。
 「ベランダに出ると、物置の中からカタカタという音が聞こえて、次郎さんが動いてるんだなと分かった」
 -あなたは27日夜、出先から帰って来て次郎さんが亡くなったのを知った。
 「正則が『死んでる』と。あおむけで倒れていました。ロープは緩めてありました。次郎さんが自力でしたんだと思います。人が死んだというのは、やっぱりびっくりしましたね。目は、僕が閉じさせました」

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