尼崎連続変死 「母親のおなか足蹴り」角田瑠衣被告一問一答
2015/05/29 23:42
尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=自殺時(64)=の親族3人の裁判員裁判第7回公判が29日、神戸地裁で開かれた。2007年に逃亡先の和歌山から尼崎に連れ戻されたとされる皆吉初代さん=死亡時(59)=の事件の審理で、初代さんの次女角田瑠衣被告(29)に対する証人尋問があった。
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検察側との主なやりとりは次の通り。
-2003年2月頃、(美代子元被告の義理のいとこにあたる)李正則被告が、高松のあなたや初代さんの皆吉家に来た。李被告とはどういう関係にあったか。
「血のつながらないいとこです」
-李被告は、皆吉家で何をしていたか。
「めちゃくちゃをして、暴れていました。扉を蹴ったり、家の中で大きな声を出したり。母親には買い物に連れて行かせて高い物を買わせたり、父親には『風俗連れて行け』と言ったりしていました」
-初代さんの対応は?
「はじめは機嫌をとってなだめていたけど、最後は音を上げて、美代子に『引き取ってください、もう手に負えません』と電話していました」
-その後、両親は離婚した。なぜ離婚することになったのか。
「美代子が父親に、離婚するように強く勧めていたからだと思います。『こんな人別れた方がええと思うで』『あんたならもっといい奥さん見つけられると思うわ』などと」
-あなたは初代さんの娘だが、暴力は振るわれた?
「振るわれてないです」
-当時のあなたと元被告はどういう関係だった?
「皆吉の一族の中で、美代子はなぜが私のことだけは気に入ってくれて、待遇が私だけよかったと思います」
-何が気に入られたと認識していたか。
「初めて会った時は、美代子に態度を悪くしていたら怒られた。でも、そこから『割と素直な子やな』とか『はっきりもの言える子やな』とか褒められることが多くなった。皆吉の一族に対しても、遠慮なく言う方だったので、それも褒めてくれました」
-褒められるようになって、元被告のことをどう思っていたか。
「私も、もともと家族に不満があった。美代子は私の代わりに母や姉を責めてくれて、私の気持ちを分かって代弁してくれる人だと思って、なついていました」
-初代さんは李被告からどんな暴力を振るわれていた?
「正則にしたらちょっと突く、はたくという感覚だと思うが、母親は力が弱いので、吹っ飛ぶこともありました」
-あなたはどんな暴力を振るった?
「母と向かい合って立って、私が母親のおなかのあたりを足蹴りして、母親がどんどん後ろに倒れていきました」
-(暴力に関して)元被告にどんなことを言われていたか。
「話し合いをしていると、『そばで聞いていて腹立たんのか』とか『私だったら手が出るけどな』と言われ、身内も暴力を振るわないといけない場面かなと思って、それからは注意をされないように、自分が先に手を出そうという気になりました」
-あなたは皆吉家と角田家とどちら側にいた?
「03年2~3月頃は皆吉家側にいたが、その後は角田家側にいました」
-暴力を振るわれて顔があざだらけになった初代さんを元被告は無理やり外に連れ出している。
「わざと外に出して辱めるという目的があった。美代子は『ゾンビみたいやな』『知り合いに思われたくないから離れて歩いて』とか常に冷やかしていました」
-初代さんは食事制限をさせられた。食べ物に対する態度で元被告から怒られることもあった。
「おなかがすいてたからだと思うが、誰かの食事を母親が目で追うと美代子がしょっちゅう怒っていて、(目で追えないように)ガムテープで巻いていました。母親が話す時に手をごそごそするのを怒って、手もぐるぐる巻きにしていました」
-高松にいた間、初代さんの格好は?
「裸にさせられることが多かったです。母親が気取っているというので、『服ぬいで自分の体よう見てみい』と鏡の前で立たされていたことがありました。庭や、尼崎では、公園で裸にさせられていたこともありました」
-初代さんの体形の変化は。
「もともとやせ形だったが、逃げ出す直前はがりがりで骨と皮だけだったように思います」
-初代さんは、03年8月に皆吉家からいなくなる。いなくなった理由は。
「美代子や皆吉のみんなから出て行けと言われていたので、やむを得ず出て行くことになったのかなと」
-はっきりとした理由はいつごろ分かったか。
「1週間くらいしてから、美代子が『はっちゃん(初代さん)逃げ出したんやな』と言っていて、はじめはどこかで反省していて、戻ってくると思っていたが、自分の意思で逃げ出したんだなと思いました」