尼崎連続変死「虐待が続けば死ぬと思った」仲島康司受刑者一問一答
2015/06/24 21:02
尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=自殺時(64)=の親族ら3人に対する裁判員裁判第12回公判が24日、神戸地裁で開かれた。2008年に兵庫県尼崎市のマンションベランダの物置で亡くなった仲島茉莉子さん=死亡時(26)=に対する殺人・監禁罪と、安藤みつゑさん=同(67)=に対する監禁罪の審理があり、茉莉子さんの夫の康司受刑者(45)の証人尋問があった。
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検察側との主なやりとりは次の通り。
-あなたは茉莉子さんと06年12月に知り合った。それまで茉莉子さんは何をしていたのか。
「美代子のもとから逃げていました」
-その茉莉子さんとはどう知り合ったのか。
「明石の運転免許更新センターで、茉莉子が免許の更新にきたのを美代子に分かって、連れ戻されてきました」
-翌年2月には結婚した。好き同士だった?
「恋愛感情は無かった。(結婚したのは)美代子に言われたからです」
-あなたは茉莉子さんと08年6月に逃げた。なぜ逃げた?
「尼崎での生活が嫌だったのと、茉莉子への虐待が終わらなかったからです」
-どんな虐待だった?
「食事や睡眠、いろんな制限ですね。暴力もありました」
-結局、沖縄で見つかってしまう。沖縄に元被告が来た時の様子は?
「えらい怒ってましたね。私の方に走ってきて、当時、私は(足の手術を受けて)つえを(美代子から)借りていたんですが、それを『返せ!』と取り上げて、茉莉子のTシャツを脱がせて、ブラジャーを引きちぎって『来い!』と」
-それはどこで?
「コンビニの前です。人もたくさんいました」
-同年7月上旬に連れ戻された。その後、茉莉子さんがマンションベランダの物置に入れられたのはいつ?
「捕まってすぐです」
-あなたは?
「私も一緒に入れられました」
-いつごろまで入れられた?
「私は9月上旬ごろまで。茉莉子は亡くなる12月上旬までです」
-物置の中では自由な姿勢で居られた?
「いや、正座でした。崩すと、美代子に暴力を振るわれました」
-元被告らは直接見る以外には、どうやって物置の中を確認していたのか。
「カメラが付けられていて、リビングのモニターで見ることができました」
-物置に鍵は掛かっていた?
「はい。家族が出掛ける時と寝る時に掛けられました」
-物置から逃げられなかったのは、鍵以外にも理由があった。
「はい。ベランダにあった勝手口には防犯ブザーがありました」
-なぜ付いていた?
「美代子が付けました。『防犯ブザー付けるから、逃げても無駄やぞ』と」
-安藤さんが物置に入れられたのはいつ?
「08年11月のはじめごろです。出先から帰ってきたら、物置の中で茉莉子と向かい合わせになって正座して、茉莉子が安藤さんをののしっていて、それを美代子が外から見ていました」
-なぜ茉莉子さんはののしっていたのか。
「それが美代子の手法。人を使ってののしらせていた」
-安藤さんはどうして物置に入れられたのか。
「(茉莉子さんの妹の角田)瑠衣(被告)の子どもに手を出したからと聞いた。そのお仕置きのために入れたんじゃないでしょうか」
-安藤さんは逃げることができた?
「僕らと一緒で逃げられなかったと思います」
-当時、あなたはすでに元被告に許されて、物置の外にいた。もし、安藤さんが逃げようとしたらあなたはどうしたと思うか。
「捕まえてました。それをしないと美代子に虐待される。それは避けたいので、捕まえたと思います」
-その後、安藤さんは数日で亡くなった。どんな様子だったか。
「正座した状態で前のめりにうつぶせになっていました」
-元被告は何か言っていた?
「『隠すぞ』と言われて、シーツに入れるよう言われました。普通の人じゃないなと思いました。まさか人を殺すまでするとは思っていなかったので」
-シーツに隠してマンションから下ろして車で運んだ。
「はい。(元被告の内縁の夫鄭)頼太郎(被告)が運転して貸倉庫に運んで、その後、民家に移動して埋めました」
-運び出す時に、物置の中の茉莉子さんの様子は。
「一言で言えば、骨と皮だけ。肉付きは無かったです」
-その後も入れられ続ければ茉莉子さんがどうなると思った?
「虐待が続けば死ぬと思いました」