尼崎連続変死公判 「自供した後怖かった」瑠衣被告一問一答
2015/12/18 21:56
尼崎連続変死事件で、角田美代子元被告=(64)=の義理の娘瑠衣被告(30)に対する裁判員裁判第23回公判が18日、神戸地裁で開かれた。事件全体を通した最後の被告人質問があった。弁護側との主なやりとりは次の通り。
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-あなたが自供した日は。
「2012年10月13日です」
-真実を話す決断は、元被告の意に沿わない。
「自分がこう思ってる、と言ったのは初めてだったので、自供した後が怖かったです」
-共犯者にも手紙で自供を促した。それは元被告に対しても?
「はい」
-元被告に罪を償ってまっとうな人になってほしいという思いでもあった。
「そういう思いでした。調べ官の人にも『今度はお前が引っ張ってやれ』とも言われてましたので」
-元被告がいつまでも隠し続けたとしたら、あなたは元被告と決別し、対決を考えなくてはならなかったかもしれない。
「公判で戦うことになるかもしれない、その時に負けないように、自信を付けないといけないと思っていました」
-元被告は12年12月12日に自殺した。
「ひきょうやな、と思いました。被害者や遺族の人が聞きたかった話があるはずなのに、一番汚い方法取ったやんかと思ったのと、でも、自分のやり方がまずかった、自分が追い込んだんちゃうかと思いました」
-あなたが「お母さん」と呼んでいた人。悲しみもあった。
「聞いた時、とっさにそんなこと思ってはいけないと思ったんですけど、夕方、夜からそんな思いばっかりになりました」
-泣きました?
「泣きました」
-色んな感情があったと。相反する気持ちは整理できたか。
「いえ整理できなかったです」
-今は?
「今もこんな状態なんで、できてるとは言えないです」
-(裁判長の質問)「こんな状態」とは?
「良かった思い出とかあるなとか…。ひきょうやなという思い一色にならないといけないのに、なりきれてないことです」
-(同)今、泣いていますよね。泣いている状態のことなのかと思ったのだけど。
「それもそうです。なんで泣いてるのかな、抜け出せてないのかな、と」
-今月12日は元被告の命日。覚えてた?
「当日になるまで分からなかったです」
-三回忌までは?
「覚えておこうと思わなくても自然と覚えてました」
-もしも、目の前に元被告が生きていたら、どういう言葉をかけたいか。
「自分が幸せとは思えなくて幸せを求めていたと思うんですけど、自分のせいでどれだけの人が不幸になっていたのか考えてほしいと思います」
-逮捕当時、被害者への謝罪の気持ちはあったか。
「その時は、全然考えられなくて、したことの罰を受ければ、堂々とできると思ってました」
-被害者のことを考えるようになったきっかけは?
「調べを受けるようになって、私が話すと、調べ官と立ち会いの人の反応が想像している以上に、聞くに堪えない、苦しいという風な感じで、それを見て、自分とのギャップがすごいあるなと気付いて、思うようになりました」
-具体的には。
「しゃべった時に、相手が『なんでそんな軽い口調で言えるんか。聞いてる方がすごい不快な思いをした』と言われました。姉の友達が、ショックでご飯も食べられなくなったという話を聞いて、正直、そんなこと思う人がいるのかと思って、自分が非情で欠けている部分があると思いました」
-2人の子どもは施設にいる。子どもへの接触を避けているのはなぜ?
「私自身、公判が終わるまでは中途半端なので、合わす顔がない、親として会えないと思いましたし、死刑になるかもと考えると、忘れてもらった方がいいなと思って連絡はやめておこうと思いました」
-最後に裁判員や裁判官に伝えたいことは。
「公判までにもう少し、世間の人と同じ感覚、価値観に近い状態で話せたらと思ってたんですけど、まだまだ未完成のまま話を聞いてもらうことになって、理解のしにくいことを聞かせてしまったんですけど、話を聞こうとしてくれてすごく感謝しています」