有馬温泉の歴史に不可欠 3羽カラスに3恩人「行基、仁西、秀吉」
2019/09/19 05:30
「日本三古湯」の一つに数えられる有馬温泉街=神戸市北区有馬町(有馬御苑から撮影)
日本三古泉の一つ有馬温泉(神戸市北区)。東京で、県外で、知人や友人に神戸自慢の観光スポットとして「有馬はねえ-」などと紹介している人は多いはず。私もその1人。神戸で暮らしながら泊まったことも、遊びに行ったことも数えるほどしかなく、実はあまりよく知らない。「北マンスリー 街道を行く」では、そんな神戸っ子のために、歴史▽訪れた偉人▽泉源の神秘▽特産品▽まちづくり-など、有馬温泉を徹底研究したい。第1限目は歴史を語る上で欠かせない「3羽のカラス」と「3恩人」から始めたい。(西竹唯太朗)
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温泉観光協会会長で、創業828年、陶泉御所坊の第15代当主金井啓修さん(64)にナビゲートをお願いした。
神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩約7分。奈良時代の僧行基が開祖したとされる温泉寺のそばに、3羽のカラスのオブジェが並ぶ。「なぜカラス?」。あっけにとられていると金井さんが説明してくれた。
「神代の昔、有馬を訪れた2人の神が、水たまりで水浴している3羽のカラスを見つけ、体にあった傷が数日後に治ったのを目にしたという。その水たまりが温泉だったと伝えられています」
時は流れて飛鳥時代、舒明天皇、孝徳天皇が相次いで行幸したことで、その名は一躍有名に。日本書紀には舒明天皇が約3カ月間滞在したとの記述が残る。
「3恩人なくしては、今の有馬温泉はありません」と金井さん。
「3恩人?」
「行基、仁西、豊臣秀吉です」
「温泉寺縁起」や「有馬温泉史話」などによると、行基は温泉寺、蘭若院、施薬院、菩提院を建立し、この地の基礎をつくったとされる。しかし、数々の苦難に直面する。
1097年、有馬で洪水が起こり、まちは壊滅状態に。それを救ったのが大和国・吉野(奈良県)にあった高原寺の僧仁西だった。温泉を修繕し、12の宿坊を営んだという。金井さんは「現在、有馬で『坊』の文字が付く宿は、その流れをくむものが多い。うちもですが…」と教えてくれた。
戦国時代の1528年には大火に見舞われ焦土と化した。そこに現れたのが豊臣秀吉だ。初めて有馬に足を運んだのは天下統一にめどがついた83年。長く続いた戦乱の世の疲れを湯で癒やした秀吉は、計9回訪れ、97年には大規模改修を実施したという。
千年、いや1500年近くに及ぶ歳月の中で、歴史上の偉人たちが次々と足を運んだ。次回第2限目は、「有馬を愛した30人」に迫る。