競泳・大西順子「調子が良すぎて震えた」遅咲きの大器、ゾーンを語る
2019/10/02 13:07
競泳・大西順子
元競泳選手の大西順子さんは遅咲きの大器だ。初五輪の2000年シドニーでは、女子400メートルメドレーリレーで日本の銅メダルに貢献。04年アテネ五輪には、日本競泳史上最年長の29歳で出場した。
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-シドニーの代表選考会、日本選手権100メートルバタフライで初優勝。25歳だった。
「それまで私は国内3、4番手の選手だった。でもこの時は過去にないくらい、いい仕上がりで。調子が良すぎて震えるというか。きっちり練習を積めて、体と心が初めて一致した。いわゆる『ゾーン』に入ったのはあの時だけ」
-シドニーのリレーでは第3泳者として2人を抜き、日本を3位に押し上げた。
「最初(背泳ぎ)の中村真衣さんが出遅れて5番。出番を待つ(自由形のアンカー)源純夏さんと顔を見合わせ、ぼうぜんとして『1回座る?』みたいな…。私は1、2番のアメリカ、オーストラリアにはかなわないけど、他の国よりは前に行けると思い、少しでも後ろを離そうと泳いだ。苦労して取れた銅メダル。何色でもうれしかった。今でもメンバーと飲むと盛り上がって、中村さんが『私が遅かったから』と言うと『ほんと遅いわ』とツッコミが入る」
-アテネは100メートルバタフライ8位で2大会連続入賞。大会後、現役を退いた。
「04年春の日本選手権で日本記録を出した後、ずっと調子が悪いままアテネを迎えた。ただ、シドニー(6位)に続いて『決勝の舞台には立つ』と内心思っていて。達成し『やっと終われた』と感じた」(聞き手・藤村有希子)
▽おおにし・じゅんこ 1974年10月18日、高砂市生まれ。荒井中-高砂高-筑波大出。2001年競泳世界選手権福岡大会の女子100メートルバタフライで銅メダル。現在はコナミスポーツでスイミングスクールの運営管理や指導などを担当する。