「どうすれば一緒にできる?」 車いすバスケの北間優衣 同級生考案「私ルール」が挑戦の原点
2021/08/31 05:30
車いすバスケットボール女子1次リーグの英国戦で懸命にコートを駆ける北間優衣(中央)=26日、東京都調布市、武蔵野の森総合スポーツプラザ(撮影・吉田敦史)
障害があっても、どうすれば一緒にできるか考えよう-。東京パラリンピックの車いすバスケットボール女子で31日にオランダとの準々決勝を迎える北間優衣(26)=日本生命、伊丹市出身=は小学生時代、全ての体育の授業に出席できた。それは先生や同級生が競技ごとに考えてくれた「私ルール」のおかげ。スポーツ好きでいられたことが、世界最高峰への挑戦につながっている。
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北間は先天性の二分脊椎症で、3歳から車いす生活に。それでも活発に動き回る少女だった。
通学した伊丹市立天神川小学校では、体育への参加を止められたことはなく、先生と同級生がいつも「どうすれば一緒にできるかな」と考えてくれた。
例えば、サッカーは足を使えないため、GKを任されたが、一人では大きなゴールマウスを守れない。
「それならGKを2人にしよう」と、仲間外れにされることなく楽しむことができた。
同市立荒牧中学校に進学後、伊丹スーパーフェニックスで車いすバスケットボールを始めた。そのきっかけも小学校だった。
自由に動く手を存分に使ってパスやシュートを放ち、体育で唯一、特別な決まり事を設けなくても同級生と一緒にプレーできた。
「『私ルール』をつくらなくても楽しめる。幼いながらに感じて興味を持った」と転機になった。
足が不自由な人を含め、障害者の多くはいじめられた過去を持つが、北間は中学校や高校を含めて「一回もそういうことはなかった」と首を横に振る。
両親も「これが当たり前じゃないよ」と口にするほどで、北間は大人になるにつれ「恵まれている」と実感した。
市立伊丹高校1年生の2010年から日本代表のユニホームを着続ける。ただ、12年ロンドン、16年リオデジャネイロの両大会は予選で敗れ、本大会に進めなかった。
今大会は主力の一人として守備面で貢献。順調な勝ち上がりに携帯電話はひっきりなしに鳴っているという。
「会場に声援はなくても、大勢が見てくれている実感がある」。テレビの前の応援を力に、日本を高みに導く。(有島弘記)
【車いすバスケットボール】 ボールやコートの大きさ、ゴールの高さは通常のバスケットボールと同じだが、止まった後にドリブルを再開してもダブルドリブル(反則)にならない。障害の程度によって1・0点から4・5点まで0・5点刻みの持ち点があり、出場5人を合計14点以内に収める必要がある。北間優衣は障害が最も重い1・0点。
【特集ページ】東京パラリンピック2020