【34】富士山 その二 吹墨の絵付けに魅了され

2021/04/26 14:45

信州でボーナスをはたいて買った吹墨富士の土瓶、急須と湯飲み

 私が購入した写真集「いげ皿」(1993年、光芸出版)の話から始める。

 同書によれば、「いげ」とは、佐賀県の方言で「刺(とげ)」の意味。皿の縁にギザギザがあることから「いげ皿」の名称が付いたという。
 著者の神戸在住のスコットランド人、アリステア・シートンさんは72年の来日後、「いげ皿」を集め始めたそうだ。約千枚のコレクションのうち、750枚を絵柄ごとに分類して写真に収めた。その多くは、銅版で作った転写紙を器物に付着させ焼き上げる、通称「印版」と呼ばれる印刷技法で絵付けされた焼き物だった。明治中期に確立し、陶磁器製品の大量生産が可能になった。
 私が京都で買い求めた皿は載っているだろうか。ページを繰ってみると、「富士山」の項目の中にあった。「右富士に雲。山下にはおぼろげな松の木が。吹墨(ふきずみ)」との説明。左側に富士があるのは「左富士」と呼ぶらしい。15種の皿の写真が掲載されていた。裏に記された窯印(かまじるし)などから、すべて有田焼と推定している。
 ちなみに「吹墨」も絵付け技法の一つで、水に溶いた絵の具や呉須(ごす)を霧吹きなどで霧状にし、器面に付着させる。
 ともあれ、値段の割には美しい富士の皿を入手したことで、私の「富士山探し」が始まった。それも「吹墨」であれば、より胸が弾んだ。いげ皿以外に徳利(とっくり)、飯茶碗(めしぢゃわん)、湯飲み、急須、土瓶などでも吹墨富士があることが分かり、収集は熱を帯びた。
 ある夏、信州を散策したとき、骨董(こっとう)店で吹墨富士の土瓶の大小と急須を見つけ、「売り物ではない」と断られながら、粘りに粘って入手した。夏のボーナスの大半をはたいたが、後悔はない。持ち帰って、横に吹墨富士の湯飲みを並べてみると、冷やした麦茶が注がれる音が聞こえてくるようだった。昭和の風情が漂い、癒やされるのだ。
 その後、別冊太陽「絵皿文様づくし」(96年刊)で、女性編集者が「富士山もの」集めの楽しさを記した「富士皿は青い吹墨に限る」という一文を読み、私と同じ趣味の人がいると心強く思った。ちなみに、その女性は現在の平凡社社長である。
 さて、「富士山もの」を収集する中で10年以上、解明できない謎があった。何十枚に1枚といった頻度で見つかる食器の裏(底)の文字と数字である。何のために記されたのか、何を意味するのか、さっぱり分からなかった。
 岐阜県陶磁資料館(現・多治見市美濃焼ミュージアム)を見学したときのことである。受付にあった「特別展 戦時中の統制したやきもの」(2001年)という図録が目に留まった。手に取った瞬間、目から鱗(うろこ)が落ちた。
(骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)

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