【41】骨董とは? その二 美の本質に筆力で迫る

2021/06/21 14:16

料治熊太の「明治もの蒐集」に影響され、集め始めた明治時代の石版画(リトグラフ)。美人画だけでなく風景、戦争なども題材になった

 骨董(こっとう)や古美術の本質に迫ったり、その魅力を伝えたりした人々の話を続ける。

 骨董の大衆化に功績のあった人物として、古美術研究家の料治熊太(1899~1982年)を紹介したい。古本屋で偶然買った「明治もの蒐集(しゅうしゅう)」(63年、徳間書店)で、その名を知った。明治生まれの料治は当時、価値が低いと見られていた「明治もの」の版画やランプ、丹波焼などに一つ一つ解説を加え、「時代の特質を生かし切っている」などと評価した。
 73年には「明治の骨董」(光芸出版)を刊行。「タイトルを見て、ただそれだけで蔑視する人もあるかと思うが、明治ものであれ、大正ものであれ、今日の時点で、今日にないよさが器物にあれば、それに目を向け喜んで骨董の座を与えてやるべきである」としている。
 彼の著作には、読み手をほのぼのとした気分にさせる“収集体験記”も交じり、飽きない。私は「明治もの蒐集」から石版画(リトグラフ)の存在を知り、特に美人画に一時夢中になった。写真でも、絵でも表現できない不思議な美に感動したのだ。
 もう一人、神戸ゆかりの俳人で詩人、評論家の安東次男(19~2002年、現在の県立兵庫高校出身)についても記してみたい。安東には芭蕉作品の評釈、蕪村の伝記など多くの業績があるが、忘れてならないのは、“古美術随想家”としての顔だ。
 その集大成が「古美術の目」(1983年初版、2001年「ちくま学芸文庫」)である。1970年から10年の間に執筆した約50編が収められている。多くが自ら入手した陶磁器をテーマにしているが、来歴や様式にふれた後、感想を添えるといった類いの文章ではない。彼が培った古美術の知識や人生観、哲学を総動員し器物の美の本質に迫る。
 完品でない「傷もの」にも独自の美を見つけ、文章力で読者を納得させる。例えば、直し(修理)のある古瀬戸盃(はい)について記した一文にこうある。「直すということは、そこに見えている心を補完することであって、形を復元することではない。(略)直さなければ使えないような物は、大抵のばあい、直したところで使いものにならないということにもなろう」
 禅問答のような文章もあり、骨董上級者向けの一冊だ。この文庫が出た2001年ごろをピークに、骨董や古美術に関する出版物が次第に減少する。「骨董ファン」、「遊楽」「古美術名品『集』」といった定期刊行雑誌も姿を消した。実にさびしい限りである。
 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ