【58】仏教古美術 その二 残欠から想像する楽しみ
2021/11/01 14:21
筆者が購入した(左から)華鬘(けまん)、華籠(けこ)、磬(けい)
仏教古美術の話を続ける。私は、仏像本体から何らかの理由で取れた手や指までが「仏手(ぶっしゅ)」として、収集の対象となっていることに驚いた。
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しかも、京都の骨董(こっとう)祭で出会った仏教古美術専門店の店主の説明では「たぶん、人さし指」という指一本が8万円。それが「安い」というのだ。私の頭は完全に混乱した。
店主が言う「けまん」「けこ」「けい」「ざんけつ」といった言葉の意味が分からない。当然のことながら、これらを買い集めるコレクターの心理も理解できない。
自宅で調べると「けまん(華鬘)」は「仏像を安置する建物内を飾る荘厳具の一つ。元々は生花でつくられた花輪で仏事に用いられるようになった。金銅製、木製などがある」と記されていた。
「けこ(華籠)」は仏具の一つで、法要の際にまく花を盛る器。「けい(磬)」は、読経の合図に打ち鳴らす鋳銅製の“板”だった。
「ざんけつ(残欠)」は「書物などの一部分が欠けて不完全なこと」とあった。
後日、別のイベントでその店主に再会した私は、熱い講義を受けることとなった。
「残欠の状態から、存在しない部分を思い浮かべるんです。仏手が人間の手ほどの大きさなら、仏像本体も人間ぐらいの大きさです。お顔を想像してみてください。これが仏教古美術の楽しみ方です。ほぼ完璧というものは、寺か博物館にしかないのです」
しかし、壊れた仏像の一部とはいえ仏手も、そして磬なども、元はといえば寺の備品だったはずだ。それがなぜ市場に出回るのか。
「明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や、廃寺になった寺の備品だったものが大半です。私も後継ぎがなく荒れ放題の寺から仏像、仏具一式すべてを買い取ったこともあります」
そして、声を潜めてこう付け加えた。「中には、有名寺院から流出したとしか考えられない品もあります。寺の経営が苦しいときに下げ渡したのか、手癖の悪い坊さんがいたのか、泥棒に入られたのか。仏様に聞いてもらうしかありません」
「そんなものを買うと、仏罰が当たりそうです」。私はそう言いながら、これまでに買い集めた仏像や仏具の出どころが気になり始めた。
「まぁ、お寺のおこぼれを売り買いしていても、仏様に感謝の心を持てば罰が当たることはありません。その証拠に、こうして私は元気に商売しております。それより、先日の仏手、まだありますよ。お買いになりませんか。30万円におまけしますよ」
(骨董愛好家 神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。