【59】中国の簡牘 その一 「孫子」研究の新発見か

2021/11/08 13:00

筆者が買い集めた中国の竹簡と思われる竹札の数々。文字を調べると「孫子」や「荘子」などの写しと分かった

 10年ほど前、神戸・須磨寺の骨董(こっとう)市(現在は中止)で、細長い茶色の木や竹の札が並んでいるのを見た。どれにも古い字体の漢字が記され、老店主は「たぶん経文だろう」と説明した。その言葉を信じ、100本まとめて買った。 関連ニュース 【60】中国の簡牘 その二 真偽の決着はいかに

 自宅で調べると、それらの大半は幅約1センチ、長さ約36センチで、文字は「隷書体」と分かった。隷書体は、主に中国の漢時代(紀元前202年~後220年)に使われた。ならば、中国でつくられたものではないか。紙が普及する前、木に文字が書かれたものが木簡。竹なら竹簡だ。中国では、木簡と竹簡を総称し「簡牘(かんどく)」と呼ぶ。紀元前5世紀の戦国時代から、6世紀末の南北朝時代まで使われたとされる。
 本連載の44回で紹介した「封泥」は「簡牘」を保管、あるいは送付する際、泥で覆って封印した“名残”だ。
 さて、まとめ買いした竹札の1本を字典で調べると「善戦者 求之於勢 不責於人」と読めた。ネットで検索したら、なんと中国最古の兵法書「孫子」の一節だった。「戦いに巧みな人は、戦いの勢いによって勝利を得ようと求めて、人材に頼ろうとはしない」。残る竹札のうち、30本が「孫子」の文言だった。
 簡牘には行政の文書のほか、儒教の経典(重要文献)なども記される。「孫子」といえば、1972年に出土した竹簡によって、軍事思想家の孫武の著作とほぼ確定したとされる。私の竹札も「孫子」研究の新発見になるのでは、と胸が弾んだ。
 前の持ち主はどこで入手したのだろうか。翌月、老店主に尋ねると「入手先は分からないが、中国で書道教師を務めた人の旧蔵品」という。私は確信した。書家が手本として入手した本物に違いない。
 その後も、同じ老店主から数度にわたって木札、竹札を計数百本、言い値で買った。ついでに簡牘の価格相場を調べてみたが、よく分からなかった。まぁいい、真偽の確認などは退職後の楽しみにしよう。そう思っていたある日、ネット上で、東京大学東洋文化研究所の小寺敦准教授(当時)が2011年に発表した「『骨董市場竹簡』をめぐる諸問題」を読んで驚いた。
 私は、簡牘の相場が分からなかったのは中国の文化財なので市場に出回らないため、と単純に理解していた。
 だが、実際には骨董市場に大量の簡牘が出回っており、中国を代表する竹簡コレクションである「上海博物館蔵戦国楚竹書」「清華大学蔵戦国竹簡」などは、市場で買い集めたものなのだという。どうなっているのだろうか。 (骨董愛好家、神戸新聞厚生事業団専務理事 武田良彦)
※電子版の神戸新聞NEXT(ネクスト)の連載「骨董遊遊」(2015~16年)に加筆しました。

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