障害も震災も乗り越え パン製造の作業所、今年もバザー 神戸

2018/11/09 00:20

パンの仕込みをする石倉さん(左から3人目)とメンバーら。笑みもこぼれる=くららべーかりー

 ポップな音楽が響く作業室には、パン生地をこねたり、ジャムを包んだりする障害者たちの真剣な姿があった。パンを製造・販売する共同作業所「くららべーかりー」(神戸市長田区三番町2)。代表の石倉泰三さん(66)がメンバーを見守る表情は、焼きたてのパンのようにふっくらやわらかい。(久保田麻依子) 関連ニュース 高級食パンやジェラート、「推しの逸品」をオンライン販売 小野高3年生 三木の活性化へ、起業も視野 焦がしてしまったパンが、きれいな星空に!? 「クリエーターさんってすごい!」「これ以上ない活用方法」 【好きな食パンの枚数】あなたは厚め派?薄め派? みんな試行錯誤の末、たどりついた…2位は「5枚切り」、1位は

 「くらら」には、知的障害などのある20~70代の8人が登録。毎日数百個のパンを仕込んだり、販売したりしている。
 脳に障害のある長女(42)を育てる中で、石倉さんには「障害のある人たちの居場所や働く場をつくりたい」との思いがあった。1994年4月、同区の旧山吉市場に念願の作業所を開設。当時は地域福祉や障害者支援が確立されておらず、先駆的な取り組みとして注目された。
 ところが、メンバーが仕事に慣れてきたころ、阪神・淡路大震災が街を襲った。家族やメンバーは無事だったが、市場内の店舗は全て倒壊し、くららも半壊した。「明日の生活も再建も見通せず、ぼうぜんとするしかなかった」。石倉さんはそう振り返る。
 そんな背中を押してくれたのが、メンバーの男の子だった。震災の約10日後、電車も復旧していない中で店を訪れ「はよパン焼こうや」。その一言に奮い立たされ、材料や機材をかき集めてパン作りを再開した。炊き出しの手助けに、と避難所に配った。取り組みは映画「男はつらいよ」シリーズの中で、被災した店のモデルにもなった。
 また、震災の年の11月からは、生活用品や作業所の製品を販売するバザー「一七市」を毎月17日に開催。100回を区切りに終えようとしたが、「続けてほしい」という地域の声に後押しされて継続を決め、現在は“拡大版”と銘打って、毎年11月に開いている。
 当初のくららは震災の区画整理の対象になり、98年に現在の場所に移転した。きょうも店先にはジャムパンやデニッシュなど20種類近くが並び、朝から準備に忙しい。地域のイベントで大口の注文が入ることも少なくないという。
 「震災が長田の街を変えてしまったが、人情豊かな地域の温かさは今も残っている」と石倉さん。そして「障害のある仲間が地域で生きるひたむきさを、パンを通して知ってもらいたい」と力を込めた。
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 今年の「一七市」は11日午前10時~午後3時、同区の若松公園・鉄人広場で。福祉事業所の製品や屋台の販売、ステージイベントがある。

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