長田にも「けんか祭り」? イカナゴ漁の順番競う
2018/11/21 05:30
駒ケ林の伝統の祭り「左義長祭」(神戸アーカイブ写真館提供)
神戸市営地下鉄海岸線駒ケ林駅の改札を通り過ぎようとした時だった。大勢の人が二手に分かれ、人の5倍ほどもある棒状のものをぶつけ合っているレリーフに目が止まった。下には「左義長(とんどまつり)」とのタイトル。姫路・灘のけんか祭で繰り広げられる神輿のぶつけ合いと似ている。「千年以上も続いた左義長祭。あんた知らんのかい」と地元関係者。「サギッチョ?」。「駒ケ林のけんか祭りのことや」(石川 翠)
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長田港のある駒ケ林町一帯は古くから漁師町として栄えた。駒林神社(同町3)の記録によると、左義長祭は988(永延2)年に宮中行事を模して始まったとされる。火祭りの一種で、毎年1月15日に行われていた。いつしか、イカナゴの初網を入れる権利を競う行事となり、村が東西に分かれ戦った。
丸太を組み合わせた担ぎ棒の上に、竹やわら、ササで作った高さ20メートル以上ある「お山」を載せ、双方100人ほどで担ぎ上げる。それをかち合わせ、倒し合ったという。時にけが人が出るほど白熱し、「けんか祭り」と呼ばれていた。当時の写真には、担ぎ手の何倍もの観衆が見守る様子が写っている。
東西の真ん中付近に位置した同神社が行司役だった。中山直紀禰宜(37)は「初網を巡って、担ぎ手も応援も必死。祭りの日は相手方に嫁いだお嫁さんが実家に送り返されるほどだったと伝え聞いている」と話す。浜が埋め立てられたことなどから1959(昭和34)年を最後に途絶えた。同神社には、模型やお山のイラストが描かれた絵馬が飾られるなど、歴史を伝えている。
93年に市のイベントとして一度復活し、その後、学校の校庭で再現されるなど、惜しむ声は絶えないという。
実はもう一つ気になることが…。同神社の参道で「いかなごのくぎ煮発祥の地」の碑を発見した。「くぎ煮といえば垂水区では?」 同区内で同様の発祥の碑を見たこともある。
聞くと、垂水はシンコ(稚魚)漁、長田はフルセ(成魚)漁で、それぞれに碑がつくられたようだ。左義長が、イカナゴ漁の順番を競う争いだったという歴史を耳にしたばかり。納得して神社を後にした。