新長田になぜ鉄人28号? 不屈の姿がシンボルに
2018/12/19 05:30
NPO法人神戸鉄人プロジェクト事務局長の岡田誠司さん
JR新長田駅前の若松公園に立つ鉄人28号の実物大モニュメント。神戸出身の漫画家横山光輝の往年の名作だ。困難に立ち向かう不屈の姿が、阪神・淡路大震災から立ち上がる被災者の姿と重なる。総工費1億3500万円をかけ、2009年秋に完成、復興のシンボルとして多くの人に愛されてきた。この地に「なぜ鉄人なのか?」。その完成秘話はあまり知られていない。「N(ながた)プロジェクト」では、震災で甚大な被害を受けながらも、まちの活力を取り戻すため、誘致に奔走した人々の物語を描く。(井上 駿)
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2006年1月。新長田の居酒屋。音楽プロデューサー岡田誠司(59)=現・NPO法人「神戸鉄人プロジェクト」事務局長=を前に市都市計画局再開発課長の中川欣哉(63)=現・神戸みのりの公社理事長=はこう切り出した。
「もう一度、新長田を元気にするにはどうしたらええやろ」
当時、再開発ビル・アスタくにづか4番館のライブハウス「SITE・KOBE(サイト・コウベ)」の運営に携わっていた岡田は、腕を組み、静かに目を閉じた。
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少子高齢化や商店・工場の後継者不足、地場産業の低迷…。震災から11年が過ぎ、地域が抱えていた問題が噴出し、区の人口も回復の兆しはなかった。同駅南には再開発ビルやマンションが次々と建設されたが、将来性や採算は不安視され、空き店舗が目立った。
中川は黙って聞き入る岡田にこう訴えかけた。
「鉄人28号で何かできひんか」
住民の心を一つにまとめられるまちのシンボルを探していたところ、知人から04年に逝去したばかりの横山のあゆみをたどる神戸新聞社の連載「行け! 鉄人横山光輝の50年」を紹介された。何度も危機に立ち向かう鉄人28号の雄姿に中川は「これだ」と直感した。
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同区の丸山で育った岡田。幼い頃の夢は漫画家で、手塚治虫の鉄腕アトムと、横山の鉄人28号の「2大ヒーロー」を食い入るように見た。絵も得意だったが、夢野台高校に進み、ベースを手にして音楽の世界にのめり込んだ。
大学卒業後、先輩を頼って上京。オーディションに合格し、“なめ猫”ブームから派生したロックバンド「M-BAND」のメンバー入りする。人気を博したが5年で脱退。神戸に帰ってきた。
大阪の広告代理店などで働いたが、音楽からは離れられず、サイト・コウベの構想が立ち上がった際、岡田に声が掛かった。
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「鉄人ならいけますよ」
岡田は紙切れにペンでサラサラッと描いて見せた。
少年期に神戸大空襲で焦土と化した故郷を目の当たりにした横山は、神戸で鉄人28号の構想を練った。
2人の頭の中で、戦災復興と震災復興がつながった。(敬称略)