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仕事を持ち、愛する人と結婚して、宝物のようなわが子を授かる…。端から見れば「幸せの絶頂」とも見えそうな瞬間です。でも、もしそこで心を病み、仕事を失い、家に引きこもってしまったら-?

きっと多くの人にとって考えたくもない状況でしょう。それが、ぼくです。

妊娠発覚直後にうつ病で無職になった男が、紆余曲折の末に障害者として生きることを決めるまでをつづろうと思います。

■春、新しい命が宿った。けれど…職場では否定され続けた

ぼくは、どこにでもいる普通のサラリーマンでした。今時らしく、数回の転職を繰り返しながら、なんとか世間に付いていっていた社会人。適齢期と呼ばれる年齢で結婚し、いろいろありながらも、とはいえ至って順調に人生を重ねてきたのです。

32歳の春、待望の第一子の妊娠が分かりました。本当に嬉しくて、まだ生まれてもいないのに、赤ちゃんのいる生活を想像するだけで幸せを感じました。名前もぼくが考え、毎晩のようにお腹の赤ちゃんに呼びかけていました。

一方、その頃仕事では、とてもハードな日々を送っていました。厳しい仕事内容やプレッシャーに加え、上司のパワハラやモラハラに悩まされていた。朝は始業時間の2時間前に出社し、2時間程度の残業。それに加え、上司からはおもしろいことがなくても「常に笑え」と強制され、少しゆっくりしていると「まだ余裕があるな」と言って厳しい仕事を押し付けられ、しんどそうな顔をしていると「そんな態度をするな」。次第にどういった行動が正解なのか分からなくなり、30歳頃まで努力してきた自分の社会人としての考え方や性格は「全否定」され、完全に自信喪失させられました。そして、そんな僕の様子を見て上司は満足していたようでした。

■「乗り切るのが社会人」と信じた 吐き気を抑え電車に

しかし、それも社会人としての宿命、乗り切るのが社会人だと信じていたぼくは、悩みながらも精一杯頑張って働きました。ましてや子どもがもうすぐ生まれるのです。仕事を休んで給料がストップしてしまったら、一家はたちまちピンチを迎えてしまう。ぼくは毎朝吐き気を抑えながら、通勤電車に乗っていました。

しかし頑張りがたたったのか、その頃から不眠症に悩まされるようになりました。どんなに疲れていても、睡眠不足でフラフラしていても、夜ベッドに入ると目が冴えてくるのです。心身共に疲れているのに、目を閉じると眠れなくなる。「明日の仕事が嫌だ」「上司と顔を合わせるのが憂鬱だ」。そんな思いで脳内が支配されてしまいました。心療内科で処方された睡眠導入剤に頼って睡眠時間を確保し、なんとか毎日を暮らしていたという状態でした。

奥さんによると、この時期のぼくは、睡眠中にうなされたり、痙攣をよく起こしていたそうです。食欲もなく、仕事のプレッシャーでお昼ご飯ものどを通らないのに、家に帰るとすぐに冷蔵庫を開けて、ビールを取り出し、そこから寝るまで常にワインや焼酎、ハイボールなどをあおる。常に酔っ払っている状態じゃないと、落ち込む気持ちを誤魔化せませんでした。もちろんアルコールのせいで気分は最悪です。しかし、ストレスを実感するよりも、お酒で苦しい思いをしたほうがマシという思考になってしまっていました。今思えば、一種の自傷行為のようだったのかもしれません。

そんなある日、ぼくは朝目が覚めても起き上がれなくなりました。体が動かないのです。起きなきゃ仕事に遅れると分かっているのに、目が覚めているのに、起き上がれない。まるで鉛のようになった体と、憂鬱な気持ちに襲われました。

「もう無理だ」と心が折れた瞬間です。

■「うつ病」の診断。ホッとしたのも束の間、押し寄せる焦燥感

すぐさま上司に会社を休む連絡を入れました。そしてその直後に、スマートフォンの電源を切りました。誰かから連絡が来るのが、猛烈に怖くなってしまったのです。すぐに布団に潜り込むと、束の間の安心が確保されたような気持ちになりました。

夕方、心療内科に連絡をしました。症状を言うと、運良くすぐに診察してくれることになり、そこで診断されたのが「うつ病」でした。そしてお医者さんからは「診断書を書くからすぐに休職しなさい」と言われました。

意外にも、現実を受け止めるのに時間はかかりませんでした。それは「やっと休める」という気持ちが大きかったからです。その日から、ぼくの休職生活は始まります。毎日の仕事のストレスから解放されたぼくは、ほっとしていました。

しかし、何日か療養していると、今度はどうしようもない焦りが襲ってきました。「これから子どもが生まれるのに働いていないなんて…」「お金がたくさん必要な時期なのに、どうやって生活すれば…」という焦りと罪悪感です。

共働きの奥さんはまだ産休に入っていなかったので、お腹が大きいまま仕事に行っていました。それを見送るのも、とても申し訳なかった。

さらに追い討ちをかけるように、会社からは事実上の解雇という形で退職することになります。会社からは「休職のまま会社に所属させることはできない。個人として仕事を依頼するようにしても良いか?」と言われます。その後しばらく業務委託という形で仕事を頂いていましたが、3ヶ月ほどで連絡は途絶えます。そして完全に失業したぼくは、30歳前半にして無職となったのです。

■「こんなパパになるはずじゃなかった」自分を責めた

その日から、ぼくの地獄のような日々は始まりました。

毎日毎日、自分を責め続けました。働き盛りの歳なのに、働いていない。昼間に家にいることの罪悪感。恥ずかしいし、情けない。お金の心配が常につきまとうから、些細な物を買うことすら諦めました。家にお金を入れれていないので、毎日の食事にも遠慮するようになりました。奥さんの稼ぎで生活をさせてもらうということに、ふがいなさを感じていました。

せめて家事全般はぼくが引き受けようと思っていたのですが、思うように体が動かない日もあります。1日の大半をベッドで過ごし、ギリギリの状態で料理、掃除、洗濯などをして過ごしていました。

まさか、こんなに情けないパパになるなんて思ってもみなかった。思い描いていたのは、朝子どもの顔を見て出勤し、それなりに疲れて帰宅した後子どもの世話をして、家事もして、家族で協力して支え合いながらの生活。でも、これから先の未来を想像しても、そんな幸せな将来は、どこにも思い浮かびませんでした。

悩み続け、罪悪感に襲われ、でも解決の為の行動は何もできないまま、ただ時間だけがすぎる毎日。子どもが生まれるのはものすごく嬉しいけれど、将来のことを考えると強い不安感に襲われる、毎日毎日、一日中ネガティブな考えだけが頭をめぐって、離れませんでした。

(まいどなニュース特約・かいぞう)

2021/11/13
 

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