戦慄走った日大悪質タックル アメフト追いかけ半世紀のカメラマンが撮影5000試合へ

2021/12/17 16:30

1976.11.21 関学-京大 万博記念公園球技場(山岡丈士さん撮影)

大学や高校のアメリカンフットボールを撮影してきたカメラマン山岡丈士さん(67)が、撮影を始めて間もなく半世紀を迎える。会社勤めをしながら、週末に試合会場へ通い、撮影してきた試合数は2021年12月19日の全日本大学選手権決勝「甲子園ボウル」(甲子園球場)で5000試合に達する。歴戦の名勝負や日本大学の悪質タックル問題を見つめてきた山岡さんは「50年近く試合を見てきて、(悪質タックルは)一度も見たことがないプレーだった」と振り返る。

■同級生の激戦、撮影続ける原動力に

2021年11月14日、大阪市のヤンマースタジアム長居。アメフトの関西学生リーグ優勝決定戦となった立命大ー関学大の試合会場に、山岡さんの姿はあった。筆者がアメフト取材を始めた15年前から変わらぬ望遠レンズを携え、山岡さんは「お久しぶり」と帽子を軽く上げた。

野球やラグビー、駅伝など有力校が関東に集まる競技が少なくない中、アメフトは関西のレベルが高い。関学大や立命館大、関西大、京都大が覇を競い、一時は万単位の観客を集める人気を誇った。山岡さんの撮影歴は、そんな群雄割拠の関西学生リーグの歴史と重なる。

始まりは関西学院高等部3年生だった1972年。関学大と法政大が対戦した甲子園ボウルを父親に買ってもらった一眼レフカメラで撮影した。「帰宅部だったけど、緻密な作戦から繰り出される肉弾戦に魅了された」。関学大でアメフト部の先輩に誘われ、入部したものの、タックル練習で何度もはね返され、脚を痛めて退部。「帰宅部からアメフト部は体力的に厳しかった。でも撮影というかたちでアメフトに携わりたかった」と母校の試合をカメラを向ける日々がスタートした。

社会人になってもカメラマンを続ける決意を固めたきっかけをくれたのは、同級生のアメフト部員たちだった。4年生だった1976年、京大に0-21で敗れてリーグ連勝記録が145勝で止まった関学大は、プレーオフで京大に13-0で雪辱を果たした。「同級生たちのほっとしたような表情が忘れられない」。就職は「試合がある土日に休めそう」と尼崎信用金庫(尼崎市)に決めた。

大学、高校、社会人とさまざまな試合を撮影してきた。関学大が京大を破った1977年の激闘「涙の日生球場」、2002年の関学大初の日本一、その後、関学大を圧倒した立命大の躍進…。しのぎを削る各校の名勝負を記録してきた。

アメフトの取材を始めたばかりの記者に対しては、隣でカメラを構えながら、助言を送ってきた。「残り時間が少ないからパス投げてくるで」「ここはランで押すやろ」。筆者もアメフト現場に来て間もないころ、山岡さんに各校のプレースタイルや戦術のイロハを教わった。

■妻はアメフト専門店の元店員

妻の寿子さんはアメフト用具専門店の店員だった縁で知り合った。子どもが生まれても土日に撮影に出かける日々は変わらなかったが、「妻は『もうやめときや』と言わなかった。支えてくれた妻のおかげです」と感謝する。

アメフトは徹底的に対戦相手を分析し、おとりの動きも含めた11人のサインプレーで敵の裏をかく。すべてがサインプレーのため、膨大な準備時間を要する。「青春の限られた一瞬を残したい」と大学生、高校生が勝負に全力を注ぐ瞬間を切り取ってきた。求めに応じ、大学や社会人のチームパンフレットや、高校生の大会パンフレットの写真も無償で提供してきた。

■日大タックル問題「悲しかった」

数多くの試合を記録してきた山岡さんにとっても、2018年に起きた日大悪質タックル問題は異質な出来事だった。東京で行われた試合だったため、撮影に訪れてはいなかったが、動画でプレーを確認し、戦慄した。「半世紀アメフトの試合を見てきて、一度も見たことがないプレーだった。ボールを投げた後のクオーターバック(司令塔)に、背後から襲い掛かるなんて」と振り返る。

山岡さんは前年の2017年に関学大と日大が対戦した甲子園ボウルを撮影していた。「お互い(悪質な反則がない)クリーンな試合だった。遺恨が残るようなプレーはなかったはずなのに、なぜ悪質タックル問題が起きたのか、不思議でならない」。日ごろアメフトを取り上げることのないワイドショーなどでも繰り返しトピックに上がったが、「アメフトが危険な競技のように報じられたことは悲しかった」と肩を落とす。

その後、日大は2018年度に公式戦出場停止処分を受け、指導体制を一新して2019年度に関東1部下位リーグから再出発し、2020年の甲子園ボウルで再び、関学大と相まみえた。「新しい指導者の下で、素晴らしい試合をしてくれた」と振り返る。

選手達を追いかけ、気付けば還暦を過ぎた。それでも重いレンズを担いで会場へ訪れる。「5000試合目は通過点。体が動く限り、撮影を続けたい」と笑みを浮かべた。

(まいどなニュース・伊藤 大介)


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