1970年の大阪万博で初めて披露され、日本の代表的な反戦歌として歌い継がれる「戦争を知らない子供たち」。多くの人にとって馴染み深いのは、翌71年に発売されたジローズ(杉田二郎、森下次郎)名義の方かもしれないが、万博会場で最初に歌い、ジローズより先にレコードを出したのは、全国のフォークグループから集められた精鋭でつくる「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ」だ。メンバーの1人だった音楽家の浦田博信さんが、当時参加した人たちに呼びかけ、55年ぶりに集まって一緒に歌う企画を進めている。
「戦争を知らない子供たち」は、日本の若者や文化人の間でベトナム戦争に反対する機運が高まる中、ザ・フォーク・クルセダーズの北山修さんの詞に杉田二郎さんが曲をつけて誕生。1970年、アジア初の国際博覧会となった大阪万博でのコンサートで、全日本アマチュア・フォーク・シンガーズが初めて歌い、同年、その模様がレコード化された。ジローズのレコードが発売されたのは、その3カ月後だった。
全日本アマチュア・フォーク・シンガーズには、京都や神戸、名古屋など、各地で活動するフォークグループから計70~80人が参集。その中には、後に「てんとう虫のサンバ」をヒットさせる「チェリッシュ」や、ばんばひろふみさんのバンド「ジャッケルズ」などもいたという。
■当時の空気を伝える貴重な証言
当時、大阪外国語大学(現・大阪大学)の学生で、フォークグループのギター・ボーカルとして活動していた浦田さんにも声がかかった。
「初めて曲を聴いた時は『ああ、まさに我々の世代の歌だな』という印象を受けました。本番前に1週間ほど練習合宿してから臨みましたが、僕たちにとっては雲の上の存在である北山修さんとも会うことができて、ただただ楽しく、そして貴重な経験でした。万博会場の熱気も、なんとなく覚えていますよ」
その後、主に作編曲家として活動してきた浦田さん。「伯方の塩」や「VC-3000のど飴」などの有名CMソングをはじめ、テレビ番組や舞台の音楽を数多く手がけ、近年は弾き語りライブも積極的に展開している。
大阪万博から55年の今年、大阪では再び万博が開催。一方、世界では今も戦争や紛争、内戦が絶えない。そんな中、8月にはアイドル(ハロプロ西日本)がこの曲のカバーを配信リリース。あらためて「戦争を知らない子供たち」が歌い継がれてきたことの意義を強く感じたという浦田さんは、今夏のライブで、今も連絡を取り合っている当時のメンバー3人を誘い、一緒にこの歌を演奏したところ、客席も大いに盛り上がったという。
手応えを感じた浦田さんは「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズに参加した人たちと、もう一度集まれないか」と考えるように。数十人いたメンバーの大半の連絡先は把握できておらず、音楽とはほとんど縁のない道を歩んでいる人も多いと見られる。それでも浦田さんは「55年の時を超えてまたみんなで歌いたい。心当たりのある人は私のInstagram(@jalan1124)までメッセージをください」と呼びかけている。
(まいどなニュース・黒川 裕生)
























