(1)サイエンスライター・添田孝史さん 原発事故1・17の教訓生きず
2021/02/09 15:49
サイエンスライター添田孝史さん=神戸市須磨区(撮影・後藤亮平)
東日本大震災の発生当時、朝日新聞社大阪本社の科学医療担当デスクだった。テレビから震度7を叫ぶ声が響き、津波の映像を目の当たりにした。とんでもない事態だとがくぜんとした。
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東京電力福島第1原発1号機は、全電源喪失に陥った。炉心溶融で放射性物質は屋外に放出。16万人以上が避難を余儀なくされた国内史上最大の公害だ。原発の「安全神話」は根底から覆った。経緯を取材すると、事故は未然に防げたことが見えてきた。津波を予見する警告がいくつも存在していた。
国の地震調査研究推進本部は2002年、東北の太平洋沖にある日本海溝で津波を起こす地震が今後30年以内に20%程度の確率で起きるとの予測を公表。これを受け、東電は福島第1に到達する津波高を内々に最大15・7メートルと試算していた。東電は対策を講じず、ほぼ同じ高さの津波が来て事故が起きた。国は、東電が安全対策を進めていないと認識しながら、指導・監督の役目を果たさなかった。
同じ構図は阪神・淡路大震災でもあった。専門家は活断層が走る神戸市周辺で直下型地震の恐れを指摘したが、行政は膨大な対策コストに難色を示し、地域防災計画で警戒度を高めなかった。その教訓は生かされなかったと言える。
東電と国が「(事故の)法的責任はない」との立場の中、他の原発で再稼働の動きが出ている。事故の検証が不十分なままでは同じ過ちが繰り返されてしまう。
■リスク知りつつ対策後回し。検証なお不十分なまま
-東日本大震災前から原発の取材をしていた。
「1997年、神戸大名誉教授で地震学者の石橋克彦氏が『原発震災』を言い出した。原発の地震対策は最新の知見を取り入れておらず、想定以上の地震が起きれば事故の可能性があると」
「すぐに飛びついた。ただ、2007年の新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発は想定の4倍も揺れたのに結構無事だった。『原発はやっぱり地震に強いのかも』と思い、このテーマの取材をやめようかなと考えたこともある」
-だが、「安全神話」は誤りだった。
「東京電力が津波のリスクを認識しながら対策を後回しにしていたのは、事故後に明らかになった。本当は1万~10万年に1回の津波に備えないといけないが、リスクが分かった時点で、福島第1原発の稼働はせいぜい残り10~20年。津波対策で原発を止めると、余計な燃料費が年間5千億円ほどかかる。経営者としては、来るかも分からない災害に備えていられない、起こらないことにしよう-ということだったのだろう」
-国の規制当局も機能していなかった。
「原子力安全・保安院(当時)は福島第1の津波対策が国内でも特に不十分であることに気付き、安全性の見直しと対策を求めていた。だが、先延ばししたいと考えた東電は、専門家に根回しし、結果的に保安院は先延ばしを認めた」
「規制側が規制される側に支配されてしまう『規制の虜(とりこ)』になっていた。規制がややこしく複雑になっている一方で、規制当局の役人は異動があって、経験が浅い人が担当になる。知識や経験で東電側に勝てない」
-事故から10年近くたって出てきた新事実が多い。
「政府、国会の事故調査委員会の調査が不十分だった。私も国会の事故調で調査に携わったが、力不足だった。ただ、内閣府に請求して開示された文書から、政府事故調が国の責任につながる重要な資料を報告書に記載せず伏せていたことが分かった」
「事故を巡る過程、そして事故調の在り方が検証しつくされたとは言えない。政府や国会などの事故調査が終わった今、刑事、民事裁判の法廷で明らかになる関係者の証言や証拠資料も、原発事故を読み解く新たな手がかりだ」
-兵庫県に原発は立地していない。
「福島第1の事故で、住民の避難区域は半径30キロに及んだ。不幸中の幸いだったのは、爆発の危機にあった2号機が偶然にも最悪の事態を免れたこと。爆発していれば東京都を含む半径250キロが避難区域となる可能性があった」
「福井県の関西電力高浜原発は地元の高浜町が再稼働を認めたばかりだが、神戸・ポートアイランドまでの距離は約110キロ。原発事故が起きない保証は何もなく、対岸の火事ではない。リスクが高い原発を使い続けることが本当に必要なのか考えてほしい」
(聞き手・金 旻革 撮影・後藤亮平)
【そえだ・たかし】1964年生まれ、島根県出身。朝日新聞社で科学・医療分野を担当。2011年に退社しフリーランス。福島第1原発事故の国会事故調査委員会協力調査員として津波分野を調査した。17日に新著「東電原発事故 10年で明らかになったこと」を出版する。神戸市須磨区在住。