(2)一晩で17人死んどった
2013/05/22 16:30
戦時中、中国東北部の国境守備隊にいたころの細見竹雄さん(細見さん提供)
「最初のうちは、死ぬのは一晩に2人か3人やったかな。けど寒さが厳しなって気温がどんどん下がって、食べもんも悪なって。体の衰弱と疲労で栄養失調になるもんがようけ出てきてな。そのうち、ころころ死ぬようになった」
1945(昭和20)年11月、旧ソ連のタイシェトに抑留された篠山市の細見竹雄さん(91)が、シベリアの極寒の冬を振り返った。
「零下30度では、寝たらもうそのまま死んでいくさかいな。暖炉の薪(まき)を拾ってきて、交代で不寝番をしとったんや。ある晩、不寝番をしとった仲間が栄養失調で倒れてしもうてな。最初の冬の、12月か1月やったかな」
「ほいたら暖炉が消えて、朝起きたら、弱っとるもんがみな死んでしもうてな。よう忘れんわ。17人、17人やで。コンカラコンになって死んどってな。遺体は氷と一緒。人間ちゅうのは、水分があるやろ。その水分が全部、凍っとんねん。せやから押さえたかて、硬いねん。真っ白になってしもてな」
自身もシベリア抑留の体験者で、死亡者名簿の作成に独力で取り組む新潟県糸魚川市の村山常雄さん(87)によると、氏名が判明している抑留者は約4万3400人。そのうち半数以上の約2万3200人が、1945年11月~翌年3月にかけて亡くなったという。
「一人、また一人と死ぬような時分は『かわいそうや』と言うて、毛布でくるんだりしとった。けど、ぎょうさん死ぬようになると、毛布は足らんようになるし、くるむどころやなくなってもてな。『おまえ、死んだら着とるもんくれや』と言うたら、『おう。死んだら取ってくれ』って会話もあってな。とにかく死んだら、みんな取ってしまって素っ裸や」
「死人(しびと)もな、家の中に置いといたら嵩(かさ)が高いやろ。埋めるいうたかて、地面は80センチの深さまで凍っとったさかいな。岩やったらまだ、こづいたらゴロっと落ちるけど、土が凍ったら、つるはしでバーンってこづいたかて、ほんの少し傷がつくだけ。ぜんぜんや」
「せやから、ちょうど谷みたいなとこがあってな、そこに落としよった。カラカラカラって滑ってってな。人形みたいやったな」(小川 晶)