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第2部 白菊の空~神風特別攻撃隊~

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宮〓(FA11)亘さんの兄、勇さん。南方戦線、本土防空を戦い、終戦を迎えた(宮〓(FA11)亘さん提供)
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宮〓(FA11)亘さんの兄、勇さん。南方戦線、本土防空を戦い、終戦を迎えた(宮〓(FA11)亘さん提供)

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 宮﨑亘(わたる)さん(88)=神戸市長田区=は1925(大正14)年1月、広島県呉市で生まれた。男4人女1人の5人きょうだいの三男で、3歳のころ、父鶴市さんの古里、香川県法勲寺(ほうくんじ)村(現・丸亀市)に移った。

 「法勲寺は農村地帯で『僕』って言うたらちゃかされて。『おら』なんやな。神社のお宮さんで走り回ったり、パッチンしたりして遊びました。パッチンって、メンコですな。戦国の武将が描かれとったけど、日中戦争が始まるころには乃木将軍とか東郷元帥とか、軍人の絵柄になった。ちょうど一番上の兄貴の勇が軍隊に入ったころです」

 4兄弟の長男勇さんは宮﨑さんの6歳上で、次男賀一(よしかず)さんの尋常小学校卒業を期に旧制丸亀中学を中退。36(昭和11)年に長崎の佐世保海兵団に入団した。その後、水兵から航空兵に転じ、太平洋戦争開戦直前の41年11月、ゼロ戦の操縦員として配属された。

 「海軍航空隊の南太平洋の拠点やったラバウルから、ウェーク、マロエラップと最前線を島づたいに転戦して。出撃するたびに隊員が戦死するから、何度も隊を編成し直したんやけど、兄貴は生き残った」

 「戦後になって、兄貴にアメリカの退役兵の集まりから招待状が届いたことがあった。戦争当時、南方の日本軍の無線を傍受しとったらしいんやけど、いっつも『宮さん』って名前が聞こえてきたらしい。『どんなパイロットなのか一度会いたい』ということで、アメリカでの滞在費は全部向こう持ちでという話でした。兄貴が体調を崩しとったんで、実現せえへんかったけどな」

 「レイテ沖海戦で最初の神風特別攻撃隊が出撃したころ、フィリピンにおった兄貴も特攻に行く可能性があったみたいや。せやけど突然、『飛行機を受け取りに行け』って命令が出て、内地に帰ってきた。熟練の操縦員はかなり戦死しとったから、海軍としても残しときたかったんかな」

 45年、勇さんは海軍の新型戦闘機「紫電改(しでんかい)」の操縦員となる。本土防空を担い、空襲に来るアメリカの爆撃機などと戦った。当時の同僚、笠井智一(ともかず)さん(87)=伊丹市=は「宮﨑(勇)さんは、歴戦の勇士として有名やった。決して戦歴をひけらかしたり、部下を殴ったりはしない。明るく、親しみやすい人でした」と振り返る。

 「戦後、兄貴は松山で酒屋を営んどって、去年の4月に亡くなった。酒の席とかで戦争の話になっても、自分の話は一切せえへんかった。にこにこして、酒をついどるだけでな」

(小川 晶)

2013/8/17
 

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