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第2部 白菊の空~神風特別攻撃隊~

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5月25日未明に出撃予定だった徳島白菊隊の操縦員(宮崎さんは後列右から3人目)
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5月25日未明に出撃予定だった徳島白菊隊の操縦員(宮崎さんは後列右から3人目)

  • 5月25日未明に出撃予定だった徳島白菊隊の操縦員(宮崎さんは後列右から3人目)

5月25日未明に出撃予定だった徳島白菊隊の操縦員(宮崎さんは後列右から3人目)

5月25日未明に出撃予定だった徳島白菊隊の操縦員(宮崎さんは後列右から3人目)

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 1945(昭和20)年5月25日、神風特別攻撃隊徳島白菊隊の操縦員、宮﨑亘(わたる)さん(88)=神戸市長田区=は鹿児島・串良(くしら)からの出撃直前、中止を伝えられた。

 「日を改めるんかと思うたら『時機を逸したから、いったん原隊に帰れ』って。徳島に戻れいうわけです。みんな張り詰めてましたけど、『生き延びた』という空気もわずかにありました。顔には出さんけどね。原隊復帰の理由は分からんけど、出撃中止は沖縄方面の天候が不安定やったからみたいです。白菊は影響を受けやすいから、その後もしょっちゅう中止になっとる」

 宮﨑さんらの出撃は、徳島海軍航空隊の「戦時日誌」に「取(とり)止(や)メ」とあるだけで、編成表なども残っていない。その後、5月27日の出撃隊が正式な第2次となり、以降、6月25日の第5次まで続いた。

 「予科練の同期も出撃していきました。お寺さんの息子で、しゅっとした男前やった。北光圓(こうえん)といいます。第3次でね。やけど、本来ならば死なんで済んだはずなんです。出撃直後に天候不良で中止命令が出たから。無線機を積んどった機体は戻ったけど、北が操縦する白菊には無線がなかった。何も知らず、そのまま沖縄に向かいました」

 徳島海軍航空隊の「戦闘詳報」の編成表には、北さんの搭乗機欄に「未帰還」と記されていた。第1次~第3次の出撃を受けて隊がまとめた戦訓には、こんな記述があった。「白菊特攻隊ノ出撃ガ『白菊デサエモ』ト實用(じつよう)機航空隊ノ士氣(しき)ヲ鼓舞スルコト多大ナルモノアリタリ」

 「白菊隊がな、戦闘機とか艦上攻撃機とか、実戦用の飛行機を使うとる隊に対して大きな刺激になっとると。『あんな練習機でも特攻に行っとる』いうてな。失礼な話や。隊員は何のために命をかけて死んだんですか。仲間の士気のためなんか。おかしいやろ、こんなん」

 「もはや作戦と呼べない作戦で、56人の隊員が死んだんです。『犬死にや』いうたらそれまでやし、現実にそうなんかもしれん。ただね、生き残ったもんとしては、何とも言われへんですよ」

 「彼らは、特攻いう常軌を逸した作戦に組み込まれ、無謀な命令を受けて、それでも置かれた状況下で、自分を納得させて出撃していった思うんですよ。それを考えるとね、助かったわしにできるんは、ただただ冥福を祈ることだけなんです」

 戦闘詳報には、数少ない無線搭載の白菊が、沖縄に向かう途中で打った短い2通の電信記録が残っている。

 「我健在ナリ」

 「白菊ニ幸アレ」

(小川 晶)

2013/8/25
 

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