(9)前線進出、母に告げぬまま
2013/08/21 17:46
鹿児島の串良基地への移動を前に、全員で写真に納まる徳島白菊隊
1945(昭和20)年5月20日。神風特別攻撃隊徳島白菊隊に、前線の串良(くしら)基地(鹿児島県)への進出命令が出た。隊員の宮﨑亘(わたる)さん(88)=神戸市長田区=も、練習機「白菊」で移動することになった。
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「上官から、22日に行くと言われました。福岡の築城(ついき)で給油して、午後に串良に着くという行程でね。串良進出は特攻に行くいうこと。徳島で飛行機の修理とかをしとった挺身(ていしん)隊の女の子に、30センチくらいの日本人形をもらいました。『この子も一緒に連れてってやってください、お願いします』って。『ありがとう、もらっていくぞ』言うて、左の腰にぶら下げました」
「出発の前の晩、一緒に行く士官から『最後やから飲みに来い』ちゅうて声がかかりました。予科練出身の5、6人で士官室に行った。士官いうても予備学生を出たばかりで、みんな年齢が近いからな、飲めや歌えの大騒ぎや。『敵の軍艦を沈める』とか何とか大声を出しとるもんがおったり、さっきまで歌ってた思うたら一人で泣いとるもんがおったりな」
22日午前、挺身隊らの見送りを受け、白菊で徳島飛行場を離陸した宮﨑さんだったが、一つ気掛かりなことがあった。
「特攻のこと、お母さんに何も言うてなかったんです。これも運命やからね。しっかりしとる人やったし、『死ぬ覚悟で軍隊に入った』と思っとるはずやと、遺書も書かなんだ。せやけど何かこう、言い忘れたような感じが残っとった」
「40機か50機ぐらいの編隊で徳島を出たんですけどね、ちょうど香川の古里の上を通るんですわ。『あー、小さいころに石を投げて遊んだ川だな』とか、『あそこがうちのおじのとこだな』とか、俯瞰(ふかん)図みたいに見えるんですよ。うちの家も見えてね。編隊の端っこを飛んどったから、少し高度を下げて、翼を振りました。気付くわけあらへんけどね」
「福岡の築城には、1時間ぐらい立ち寄りました。思い出深い場所でね。前に飛行術練習生でおったことがあって、2番目の兄貴の賀一(よしかず)も築城で衛兵をしとったから、お母さんが来て3人で食事をしたんです。お母さんとはそれっきりやった」
「給油の最中に、近くにおった整備員に『宮﨑賀一って、まだおりますか』って聞いたら、『おりますよ』って。その整備員に、白菊の搭乗員に配られとった日の丸の鉢巻きを託しました。特攻に行くいうことが、兄貴からお母さんにも伝わると思った。心がすっとしたいうか、自分の中でけじめがつきました」(小川 晶)