(3)「命の目安」関係あらへん

2014/08/15 16:09

2013年9月、遺骨収集の調査隊が発見した日本兵とみられる人骨=ブーゲンビル島(全国ソロモン会提供)

 「墓島(ぼとう)」と呼ばれた激戦地、ブーゲンビル島の最前線には「命の目安」があったという。階級ごとの生存の期間だ。兵は7~10日、下士官は10日から2週間、将校は2週間から20日程度-。元陸軍少尉の遠藤毅さん(93)=西宮市=は「生きて帰るなんて、考えたことなかった」と話した。 関連ニュース ナショナルトラスト運動定着へ奨励賞 西宮のNPO 津波訓練ポスターに有村架純さん 兵庫県 「ミニバスケ全関西大会」に丹波の2チーム出場へ


 「そら僕は小隊長やったから、陣地で十数人の壕(ごう)の位置を決める立場にあった。全体を見渡して命令を出すから後方。それに比べたら、兵や下士官はより敵に近い方に陣取る。必然的に、死ぬ確率は高くなるかもしれん。でも敵の弾からしたら、階級なんて関係あらへん。当たって死んだら、将校でも兵でもおしまい。それだけやでな」
 「当番兵と機関銃の小隊長と3人並んで壕に入っとったとき、目の前で砲弾が破裂したことがあった。真ん中の僕は無傷やったけど、当番兵は破片が頭に当たって即死やった。隣の小隊長も負傷した。これが現実。運命やと思うしかない」

 1944(昭和19)年夏。最前線では兵士が次々戦死した。戦死者が出ると、後方から補充兵が送られてきた。

 「歩兵が足らんから、船舶工兵とかが来るんやけど、匍匐(ほふく)前進もまともにできへん。戦闘に慣れんうちに、来て1日もせんうちに弾に当たってまう。弾は、体のどこに当たるかで音が違う。例えば、頭ならプスッいうような感じで、腹はブスッ。骨の厚みや内臓の位置なんかが関係しとるんやろうか。それと人の声は高いとか低いとか、それぞれやけど、当たったときに出るうなり声は腹なら腹、腿(もも)なら腿、弾を受ける部位が同じやったら、みんな同じやった」
 「後方で死んだ兵隊は、小指を焼いて缶詰の空き缶に入れて遺品にしとったけど、最前線ではそうはいかん。やられたらやられっぱなし。そのまま。最前線に行ってからは、兵隊が次々に入れ替わるし、どう陣地を守るかばかりを考えとったから、戦死した者について何か感じるいうか、悼むいうようなこともなかった」

 墓島から生還した元兵士の手記に、死者を弔う遠藤さんの姿が書かれている。「(遠藤さんは)砲撃の合間をぬって壕から飛び出し、『後から行くから眠ってくれ』と言いながら土饅頭(つちまんじゅう)を造った」-。この記述について尋ねると、遠藤さんは首をかしげ、「そういうこと、あったかも分からん」とだけ言った。(小川 晶)

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