(10)腹減ったら 敵の肝なめろ

2014/08/25 16:01

豊橋陸軍予備士官学校で実戦演習をする幹部候補生。遠藤さんは1942年の秋ごろ、入校した(豊橋市美術博物館提供)

 1942(昭和17)年2月ごろ、陸軍歩兵第54連隊に配属され、中国大陸に渡った遠藤毅さん(93)=西宮市=は幹部候補生に手を挙げた。 関連ニュース ナショナルトラスト運動定着へ奨励賞 西宮のNPO 津波訓練ポスターに有村架純さん 兵庫県 「ミニバスケ全関西大会」に丹波の2チーム出場へ


 「候補生を選ぶ試験は、連隊本部の海州(江蘇省)であったと思う。合格すると、今度は甲種(将校)と乙種(下士官)に振り分ける。試験は筆記だけやったように記憶しとるけど、日ごろの演習とかも見とったんやないかな」
 「幹部候補生になろう思うたんは、食い意地が大きかったな。普通の兵隊やと大したもん食べれんのに、将校やと、当番兵が巻きずしを作って、『捧(ささ)げ銃(つつ)』みたいにして出しとる。『将校ってほんますごいんや、よっしゃ、なったろ』ちゅうわけや」

 甲種幹部候補生に選ばれた遠藤さんは、幹部教育を集中的に行う豊橋陸軍予備士官学校(愛知県)に入校した。42年の秋ごろだったという。

 「予備士官学校では、歩兵部隊の指揮官になるための教育ばかり。班ごとに分かれて攻撃し合う実戦演習から、初年兵教育の方法いうのも教わったな。荒れ地みたいなところで演習するんやけど、終わった後の講評が長くて、とにかく寒かった。教育は充実しとったね。将校になることの重みなんやろうかな。事あるごとに『率先垂範』って言われた。普通の兵隊以上に命令を守り、忠実に動くようにってな」
 「軍隊いうても、いやいや戦うような兵隊もおったと思うけど、僕は違った。どんなむちゃを言われても、『はい、死んでもやります』っていうタイプ。もともといちずやったところもあるけど、予備士官学校の教育の影響もあったと思う」

 43年春、遠藤さんは予備士官学校を卒業し、見習士官となった。再び中国大陸に向かい、第54連隊の第6中隊に配属されて南京に移った。

 「2カ月ぐらい、敵前上陸や毒ガス対応の訓練をした。もうね、この時分も食べ物が悪いんですわ。普通のご飯に麦やなくて、小麦が入ってた。巻きずしに憧れとったのにね」
 「上海に移ったときに部隊が集められて、参謀の辻政信に南方行きを告げられた。『配給品は保管しておけ。腹が減ったら敵を殺して、肝をとってなめろ』と。このときには、もうガダルカナルがやられとって、戦局がよくないいうのは感じとったけど、『こりゃあ、えらいところへ行かされるな』って思った」
(小川 晶)

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