(12)飢えが人を狂わしていく

2014/08/27 16:19

ブーゲンビル島に残る太平洋戦争時の砲=2011年4月(全国ソロモン会提供)

 西宮市の遠藤毅さん(93)には右の肩口から背中にかけて、刀で斬られたような長さ20センチほどの傷痕がある。1943(昭和18)年11月、ブーゲンビル島(墓島(ぼとう))のタロキナ上陸直後の銃撃で負傷した。 関連ニュース ナショナルトラスト運動定着へ奨励賞 西宮のNPO 津波訓練ポスターに有村架純さん 兵庫県 「ミニバスケ全関西大会」に丹波の2チーム出場へ


 「僕は見習士官の小隊長として分隊を二つ率いとったが、待ち伏せとった米軍の攻撃で、動けるのは僕とカワモトという分隊長の2人だけになった。カワモトに機関銃を持たせて、僕は手りゅう弾や。軍刀を抜いて『突撃ー』って叫んで砂浜を走り始めると、ジャングルから敵の機関銃の赤い帯が襲ってきた。ぱっと伏せたら、背中を殴られたような衝撃を受けた」
 「銃弾が、肩から背中の肉をえぐっていったんやな。口からも血が噴き出して動けない。そしたら後続の分隊のタムラいう伍長が駆け寄ってきて、包帯を巻いてくれた。タムラに『前に行ったらいかんぞ』って言うたんやけど、『小隊長、任せとけ』って2、3歩進んだところで弾に当たって倒れてもた」

 日本軍のタロキナ奪還作戦は失敗に終わる。ジャングルに逃げ込んだ遠藤さんは、島南端のエレベンタにある日本軍の病院に入った。

 「エレベンタの病院も布1枚敷かれた上に横になるだけやけど、内科とか外科とか、きちんと診療科が置かれとった。12月末になって少尉に任官して、見習士官から正式な将校になった。お偉いさんが病棟に来て、肩章と恩賜のたばこを4、5本もらったけど、仲間は回りにおらん。『部下がおれば祝ってくれたんかなあ』って思った」
 「墓島は、海軍の連合艦隊司令長官だった山本五十六さんが撃墜されて死んだ場所でもあった。現地に確認に行った仲間が入院しとって、そのときの話も聞いたけど、陸軍とは直接関係あらへん人やから、漠然と『えらいことやったんやな』としか思わんかったな」

 44年3月、日本軍は再度タロキナに総攻撃を掛けるが、またも失敗。食料も尽き、持久戦を余儀なくされる。

 「入院中も最前線の様子が入ってきた。飢えた日本兵が、仲間を撃ち殺して米を奪ったって聞いた。食というもんがいかに人間を狂わすか。まだ食料があって、気力や精神が衰えてないときは、兵隊は死ぬときに『天皇陛下、万歳』と叫ぶ。ところが食べるものがなくなって、体が弱ってくると『白飯が食べたい』としか言わない。飢餓になるとな、『天皇陛下』は出てこない」
(小川 晶)

神戸新聞NEXTへ
神戸新聞NEXTへ