(13)今でも涙がこみ上げる
2015/02/27 15:34
次々と河に身を投げる開拓団員たち=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん)
旧満州国のホラン河の岸で、高橋村(豊岡市但東町)の開拓団は集団自決を決行する。1945(昭和20)年8月17日午前10時ごろのことだ。故郷に悲劇を報告するよう命じられた石坪馨(かおる)さん(86)は、母親と3人の弟と別れてハルビンへ向かおうとした。そして、河に飛び込む人たちの姿を見た。
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「最初に、ある団員が妻子を突き落として、自らも腹を切って飛び込んだという話が聞こえてきました。それから次々水に入るのが見えました。包帯とか巻き脚半(ゲートル)とか赤ん坊を背負うひもで、きょうだいや夫婦、親子で背中合わせにぐるぐる巻きにしとったんですね。今でも話そうとすると、涙がこみ上げてきますな」
石坪さんらは最初、同じ年代の少年5人で逃げる予定だったが、そこへ2人の志願者と開拓団の医師夫妻が加わった。
「全部で9人ですね。2人一組になって1番手、2番手と出て行きました。3番手で、私と医師夫人ともう1人の3人が出ることになったんです。『暴徒が囲んで見とるから、はよ行け』とせきたてられて。コーリャン畑やアワ畑の中を下流へ走ってねえ」
後に石坪さんが聞いた話によると、このころ開拓団の団長と副団長が、蘭西県の県公署(県庁)で旧満州国の反乱軍に必死に訴えていた。団員が自決に追い込まれている、助けてほしいと。
「逃げる途中で草むらに隠れて見たら、中国人が子どもを助けて引き上げとって。仲間が友人の中国人に聞くと、県公署から団員に『死ぬるな』と連絡が入ったそうです。その知らせがねえ、もう少し早かったら。ほとんどのもんは死なずに済んだと思うんですわ」
「私も仲間と生き残ったもんを探しに戻った。遺体が水に浮かんで、岸辺には裸体がありました。現地の人が服を脱がしとるんですわ。知り合いの漁師がおって『死人には必要ない』と言うんで、怒鳴り合いになってね。生き残ったもんは村の公署へ向かったと聞きました。私は、もしだまされとったら使命が果たせなくなってしまうと思いましたな」
石坪さんはそのまま3番手の3人で、逃げ続けることにした。
(森 信弘)