(3)父の決断 立派に見えた
2015/02/17 17:56
1943(昭和18)年9月27日、高橋村(豊岡市但東町)は農林省から、食糧増産政策を進める「皇国標準農村」に指定された。この日、村は村民大会を開いて「単独分村」を決議し、村を二つに分けて移民を送り出すことを正式に決める。山下幸雄さん(81)は当時、国民学校の5年生だった。学校でも満州行きが話題になった。
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「皇国標準農村に指定され、学校でも先生が話しますもんで。よっしゃ、よっしゃ、高橋村は押しも押されもしない立派な村だと誇りに思いました。そらもう『満州へ行け行け』です。おやじは毎晩のように地域の会合に出掛けました。みんな満州行きについて『そら、ええことだ』と言って、反対する者はなかったと聞きました。本当は誰も行きたくなかったでしょう。言いにくいんですね。戦争反対と思われたくないから」
だが、山下さんの祖父は戦争に反対していた。
「うちのじいさんの論法も分からんでもないです。『アメリカは金持ちなんだ。戦争に勝てようはずがない』と。いっつも、おやじとけんかしてました。満州行きも頑として反対で、『満州は日本の国とは違うど。戦争は3年ももたん。負けたら帰ってこんといかん。住むとこがないとどないもならん。わしは留守番しとく。絶対に先祖からもらった土地は売らせん』と言っていた」
山下家では代々、日清戦争でも日露戦争でも、戦地に赴いた者がいなかった。山下さんは、そのことが開拓団入りを後押しする一因になったと言う。
「うちは卑下してましたからね。兵庫県の役人だったと思います。直接は言いませんけど、『あんたのところは兵籍がない』と。お国のために役に立っていないという言い回しをした。おやじもさすがに怒りましたね。私も、ようあんなこと言うわと思ってました」
「ある日、おやじが会合から帰ってきて『満州行き、決めたぞ』と言いました。どうせこれは行かんなん、それやったら最初に印鑑ついた方が男らしいとゆうことではなかったですかね。私は、ほうか、立派なおやじだと正直思いました。恐ろしい時代だったなと思います」
(若林幹夫)