(18)悲しみこらえ 語り継ぐ

2015/03/04 12:31

毎年、自決の日には遺族らが慰霊碑の前で犠牲者の冥福を祈る。手前中央に山下さん、左後方に石坪さん=2014年8月17日、豊岡市但東町久畑、一宮神社

 満州開拓史(満州開拓史復刊委員会編集)によれば、旧ソ連軍の襲撃や自決によって約1万1千人の開拓民が亡くなった。加えて病気などによる死者が7万人近くに上る。 関連ニュース 「町外移りたい」28% 理由最多は「買い物不便」6割超 「住み続けたい」は70% 香美町民アンケート 兵庫県内、北部中心に積雪 20日朝も冷え込み続く 昨季は暖冬、スキー場「今年こそは」各地でオープンへ 今季一の冷え込み、麓の集落真っ白に 兵庫北部で積雪、神戸の朝は4度を記録

 高橋村(豊岡市但東町)の開拓団の悲劇を伝えていく。集団自決から家族でただ一人、生き残った山下幸雄さん(81)が語り部の活動をするようになったのは、1987(昭和62)年に慰霊のため中国を訪れたころだ。これまでに講演は100回を超えた。
 「最初は話すと涙が止まらへんで。とにかく忘れようと思ってきましたから。昭和40年ごろですか、開拓団の小説を書いた作家に『あなたは貴重な存在なんだ、語り継いでいきなさい』と言われました。今は役所でも、開拓団なんてほとんど知られていない。自決があったという事実を、多くの人に知ってもらいたい。戦争のない平和な世の中がいつまでも続くように、と願ってですね」
 「戦争が終わったのに、外地の邦人の安全を確保せえということが、なぜなかったのか。そのあたりが残念でかなわんです。人間は生きてさえおれば絶対に何とかなる。そうゆう教育があったら、あれだけの犠牲はなかったと思いますね」

 集団自決で母親と末弟を亡くした石坪馨(かおる)さん(86)が、人前で本格的に体験を語るようになったのは昨年のことだ。但東町の住民らが石坪さんの手記を基に、紙芝居を作って上演するようになったことが背中を押した。

 「それまでは、泣けてくるから話したくなくてね。私は、自決を故郷に知らせろと言われたんですから、語り継いでいかんなんと思っとったんですが。小学校で紙芝居をすると、子どもらが『なんで死なんならなんだん? 僕らやったら逃げる』と言うてね。今の子には想像できんけど、戦争で攻めた国におるんだでねえ。ホラン河で子どもを手に掛けた親にしても、食べもんもないのに小さい子が放り出されたらどうやって生きていくんだ、というのがありますから。子どもを思ってのことやったんです」
 「国策で行かされたのに、日本の関東軍は開拓団を見捨てた。あまりにも悲惨なことなんで、忘れられたんでは亡くなった人がかわいそうでね。今は紙芝居を作った人らと『語り継ぐ会』をつくったんで、私が死んでも伝えていってもらえると思っとるんです」
(森 信弘、若林幹夫)
=おわり=

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