【6】「感状」もらい奮い立った
2015/08/24 10:19
「食料の補給はなく、水草の新芽を摘んで煮沸したりヘビを干物にしたりして食べた」と話す今里淑郎さん=宝塚市宝梅2(撮影・峰大二郎)
兵庫県宝塚市の今里淑郎(いまさとしゅくろう)さん(93)が歩兵第168連隊で率いた無線分隊は、ビルマ(現ミャンマー)北部、バーモの日本軍守備隊救出に貢献したことで功績をたたえる賞状「感状」を受ける。1944(昭和19)年12月21日付。そこには、19もの部隊名が書かれていた。
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「紙で書くんは、ただでしょ。でも感状なんてもろたら、みんな奮い立つんやで。こんなにずらーっと部隊名が書いてあるのは珍しい。これを起草したのは有名な辻政信参謀やと後に本で読んだけど、えらいもんや。私の無線分隊も感状に部隊名が載ったから、分隊長の私が2階級特進する資格を与えられたんや。それで、最後には少尉になれるんやな」
旧防衛庁が編集した戦史叢書(そうしょ)によると同月20日夜には、守備隊と合同で戦死者の慰霊祭が営まれ、感状の中身が読み上げられた。「読むもの、これを聞くもの、共にただ感涙に咽(むせ)ぶばかりであった」とある。ただ、感状で士気を高めることはできても、物量の差は埋めようがなかった。
「日本の通信機材は性能が悪くてね。ピューピュー変な音がするし、湿気や雨でやられたら大変なんや。受信をするには電池がいるんやけど、特にそれが雨に弱い。ぬれんようにと、新聞紙に油を引いたような雨がっぱで覆っとったけど、それがかすれると全然利かん。しまいに服を脱いで掛けたり、苦労しましたわ。やられたら天日で乾かしてね。あらゆることして使ってきたわけや」
「バーモ救出作戦の後にビルマ北部で戦ってたころやったかな、もう電池がほとんどなくなったんですわ。日本軍は、そういう補給は全然考えてへんかったからね」
「通信兵は、送信機やら受信機やら担がないかんからね。兵隊のうち半分か3分の1くらいしか銃を持たれへん。無防備やから、攻撃されるとえらい目に遭うんやね。さらに、通信をしていると、敵が迫撃砲を撃ってくるわけや。通信をやっとる場所が分かる探知機が新たに出てきてね、あれには参ったね。通信の部隊が一番狙われる。5分間も発信したらね、場所を変えなあかんねん。だから、私らは味方に嫌がられたね」
45(昭和20)年2月。今里さんらの歩兵第168連隊はビルマ北部での戦いを終え、中部の町、メイミョーへと移った。(森 信弘)