【11】終戦後身分隠し一般兵に
2016/08/26 09:43
台湾で井登慧さんが率いた高砂遊撃隊の兵舎。戦後は学校に使われたという=1976年8月(本人提供)
1945(昭和20)年6月、沖縄戦が終結。陸軍少尉の井登慧(いとさとし)さん(93)=明石市=は、台湾で先住民による「高砂遊撃隊」の訓練を続けたが、連合軍が上陸することなく8月15日の終戦を迎える。
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「敵が先に沖縄に上陸したから台湾には来ないんかな、とはうすうす感じとりました。結局、阿里山に来てから終戦までずっと訓練で、隊員に実弾を込めさせたのは1度だけ。山の中に墜落した敵の戦闘機を確認しに向かった時です。パイロットは既に死亡していて、戦闘になりませんでしたが」
「玉音放送は将校室で聞きました。雑音混じりで、『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び』しか聞こえなくて。敗戦なんて考えてなかったから、『陛下がより一層の奮励努力を期待されている』と受け取って、午後も訓練を続けました」
「翌日になって、通信兵が『作戦行動を停止、武装解除せよ』という暗号電報を将校室に持ってきました。立ったままぼうぜんとして、しばらく動けんかったですね。広島と長崎に特殊爆弾が落とされた情報も入っとって、いつまで続くかなという感じは持っとりましたけど。神州(しんしゅう)不滅、一億一心で、最後の一兵になるまで頑張り抜けば日本は負けないというね、そういう信念が長年の教育でたたき込まれとったんでね」
「夕方、高砂族を集めて敗戦を告げました。解散して郷里に帰るよう伝えると、『私らは日本人だ』『自分の身はもう、日本の国にささげた』言うて、日本に一緒に帰りたいと嘆願されてね。それはでけへんし、説得して、涙で別れました」
井登さんら台湾各地に散らばっていた陸軍中野学校の出身者数十人は、台湾中部にあった訓練施設「拓士道場」に集まる。出身者らが戦後に編集した書籍「陸軍中野学校」によると、住民に溶け込むなどして秘密戦を続ける計画もあったが、「大勢を判断してその理非(是非)を極め」断念したという。
「台湾には中国軍が上陸してきましたが、収容施設に入れられたり、監視下に置かれたりはなかったです。トランプや碁を楽しんで自由に過ごしとりました。正規軍の他の部隊も、それぞれ固まって帰国を待っとる状況で。部隊対抗の相撲大会をやったこともありました」
「身分の秘匿には気を使いましたね。秘密戦をやっとったことが発覚したら、どんな扱いになるか分かりませんから。戦時中は正規軍と別行動やったのに、正規軍に紛れ込んで。9月1日付で正式に組み入れられて一般の兵隊に戻りました」
井登さんは46(昭和21)年3月、台湾北部の基隆(キールン)から広島の大竹港へ復員。47(昭和22)年4月に新制中学校の教壇に復帰した後も、数回にわたって台湾を訪れたが、戦時中とは違った高砂族への感情が湧き上がってきたという。
(小川 晶)