【12】戦場 命令に従うだけ

2016/12/23 12:36

かつて掃海艇で乗り出した海を見ながら神戸港の岸壁を歩く嶋田好孝さん=神戸市中央区新港町(撮影・風斗雅博)

 海上保安庁の職員として朝鮮戦争で機雷掃海に携わった嶋田好孝さん(91)=神戸市兵庫区=は、保安庁警備隊を経て、1954(昭和29)年に創設された海上自衛隊に移った。下士官にあたる1等海曹だった59年、幹部養成のための遠洋練習航海に同行し、初めて米国を訪れた。 関連ニュース 日米首脳「和解の力」訴えへ 真珠湾訪問時の所感で米政府高官 ハワイに真珠湾戦死兵名簿 日系寺院、米犠牲者も慰霊 ハワイ、初の日米共催追悼式典 真珠湾内のフォード島


 「私は昔の海軍で戦艦に乗ってましたから、大東亜戦争(太平洋戦争)で戦ったアメリカという国がどんな国か、自分の目で見てみたかったんです。希望して護衛艦に乗せてもらいました」
 「ミッドウェー、ハワイ、ロサンゼルスと寄って数カ月の航海でした。実際に行ってみたら、これじゃかないっこない、と思いましたよ。街では、映画で見たような流線形の車がひっきりなしに走っている。海軍の兵舎もトイレ、シャワールーム、ベッドと設備が整っていてね。駆逐艦に呼ばれて行ったら、どんぶり1杯くらいのアイスクリームが出てくる。そりゃ豊かですよ」

 開戦時、日本軍が攻撃した真珠湾にも立ち寄った。戦艦アリゾナが、無残な姿で波に打たれていた。

 「戦艦と一緒に沈んだ遺体は、今も引き揚げられていないと聞きました。確か星条旗が掲げられていて、星条旗と亡くなった人に敬意を表して国際儀礼の礼砲をドーン、ドーンと撃ったんです。みんな甲板に並んで敬礼しながらです。それは厳粛なもんですよ。軍人としてね」

 太平洋戦争後、日米は結びつきを強めた。米軍は、朝鮮戦争で嶋田さんらが加わった特別掃海隊の働きを高く評価。仁川上陸作戦に参加した米軍部隊や貨物船も神戸港などから出撃した。
 防衛省防衛研究所戦史研究センターの石丸安蔵氏によると、掃海任務以外に物資や兵員の海上輸送で5千人以上の日本人が働き、開戦から半年間だけでも56人の船員や港湾労働者が、触雷や作業中の事故で命を落とした。

 「戦争で、ひどい目に遭うのは軍人ばかりじゃないんですよ。大東亜戦争でも空襲があって、原爆も落とされた。もうしたくないですね」
 「下の者は命令された任務を遂行するだけです。上のことは分からないんです。でも、学者や偉い人だけじゃなくて、現場で戦った私たちの話もこうして聞いてくれるとうれしいですよ。どこまで長生きできるか。運を天に任せ、昔教わった質実剛健で、無駄遣いせずに生きようと思ってます」(森 信弘)
=おわり=

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