【8】戦争の痕跡
2018/08/20 10:57
戦争体験を語る道を選んだ藤田きみゑさん=兵庫県稲美町国安(撮影・斎藤雅志)
中国・広東から故郷の岩岡村(現神戸市西区)に戻った元従軍看護婦の藤田きみゑさん(98)=兵庫県稲美町=は、村役場に勤め、1945(昭和20)年8月15日を迎える。
関連ニュース
西脇工エース新妻遼己、都大路を心待ち 花の1区で「1番手」狙う 全国高校駅男子22日号砲
環境に優しいヘアリーベッチを稲作に 田にすき込むと天然肥料、温暖化防止にも一役 東播磨
返礼品に1200万円のドームテント、高額所得者にPR 加東市ふるさと納税 山国地区産山田錦の日本酒も
「午後、出先から戻ったら、同僚が『戦争、負けたんやて』。敗色が濃いのは感じとったけど、それでも『勝てる』と信じてた。悔しくて泣きました」
「けがや病気で亡くなった兵隊さん、腕の中で息絶えた赤ちゃん。広東で見てきた人の死は、いったい何だったのかとね。『お国のために』ってみんな頑張ってきたのにね」
全ての国民が戦争に巻き込まれ、生命を国に奉じる時代は終わった。だが、その痕跡が全て払拭(ふっしょく)されたわけではない。
「終戦の年に結婚した夫は、5年ぐらい中国戦線で従軍してたんですけど、体験をしゃべらなかった。一度だけ、テレビで残酷な戦争のシーンが映ったときに『おれも、あんなことをした』と。8年前に亡くなって、遺品を整理していたら、太平洋戦争のビデオがたくさん出てきた。どんな気持ちで見てたのかしら」
「弟は、満州で憲兵になった後、シベリアに4年ほど抑留されていたのに、なぜかふくよかに太って帰ってきた。何があったのか、両親が尋ねても黙ったまま。性格も変わって、何も明かさずに亡くなりました」
戦後、藤田さんは看護の現場に復帰する一方、体験を語る道を選び、今も小学生らに講演を続ける。
「次の世代に伝えるのは、戦争を知る私らの義務やと思ってます。何の罪もない人が殺されること、知らんうちに戦争熱に浮かれ、流されて、善悪の判断がつかなくなることを」
「夫や弟のように、体験を話さないで亡くなる人もいる。思い出したくないとか、戦死した人に申し訳ないとか、何となく分かります。ただね、そういう人たちは、戦時中のマインドコントロールが解けきらなかったとも思うんですよね。戦争が終わっても心のどこかで縛られ、引きずって」
終戦から73年。藤田さんが広東で生死を共にした人たちは次々に亡くなった。ただ一人、やりとりが続く同僚が豊岡市にいる。今年の年賀状には「元気です」と記されていた。だが、暑中見舞いの返信は、まだ届かない。(小川 晶)
=おわり=