「島守」の心忘れない、那覇に島田叡氏顕彰碑 神戸出身・戦中の沖縄知事
2015/06/13 16:47
奥武山公園内に建立される顕彰碑の完成予想図
神戸市出身で、沖縄県最後の官選知事として沖縄戦に散った島田叡(あきら)氏(1901~1945年)の顕彰碑が沖縄県民の募金で建立され、命日とされる6月26日、那覇市の奥武山(おうのやま)公園内で除幕される。除幕式には、井戸敏三知事ら兵庫県代表団も出席し、いまも沖縄県民に慕われる「島守」の事跡をしのぶ。
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島田氏は旧制神戸二中(現兵庫高)、東京帝国大をへて旧内務省に入った。45年1月に沖縄県知事として赴任し、米軍上陸を前に県民の疎開や食糧確保に奔走。米軍の砲撃の下でも壕(ごう)を転々として執務を続け、本島南部で消息を絶った。
没後70年を前に、慰霊碑は沖縄県民の有志が期成会を設立し、募金を呼び掛けたところ、主に県内から600万円近くが集まった。顕彰碑は高さ3メートルで、「琉球」を象徴する石灰岩の台座に、「希望」をイメージしたステンレスの球体を組み合わせる。
期成会会長で元沖縄県副知事の嘉数昇明(かかずのりあき)さん(73)は「碑に沖縄県民の『島田さんを忘れない』という思いが結集された。島田さんからもらった兵庫との交流の新たなスタートにしたい」と話す。
除幕式には、兵庫県から井戸知事や久元喜造・神戸市長、沖縄県人会兵庫県本部や兵庫高同窓会「武陽会」関係者ら計50人の代表団が参加し、沖縄県関係者らとの交流会も開かれる。(森本尚樹)
【沖縄戦】太平洋戦争末期の1945年3月、米軍は沖縄本島への空襲と艦砲射撃を開始し、4月に本島中西部から上陸した。司令部があった首里城の陥落後も、日本軍は南部に撤退して抵抗を続けたが、6月23日、沖縄守備軍最高指揮官の牛島満中将が自決し、組織的戦闘は終了した。沖縄県によると、死者数は日本側18万8136人(うち住民約9万4千人)、米軍1万2520人。