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第10部 結う、結ぶ

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鉄路をたどれば、車両が運んだ歴史の息遣いを感じ取ることができる。兵庫県内の廃線跡も含めた鉄道の痕跡をなぞり、今に続く出会いのみちを歩いた。

鉄道が生み育てた初詣
西宮神社の社務日誌。「参者相応多シ」の記述が見える=西宮市社家町(撮影・大山伸一郎)
西宮神社の社務日誌。「参者相応多シ」の記述が見える=西宮市社家町(撮影・大山伸一郎)

 西宮神社(西宮市)の社務日誌。江戸時代から神職が書き記してきた。1926(大正15)年の元日に、こんな記述を見つけた。

 四時半ヨリ賽(さい)者殺到ス。(中略)昨年ノ如キ特例(恵方詣)ニ非ズト雖(いえども)参者相応多シ

 前年は、縁起の良い方角を指す「恵方(えほう)」で、神社は「恵方まいり」でにぎわった。だが、この年は恵方でもないのに参拝客であふれかえったという。

 「元々正月は、神職が氏子の家を回っていた。それが阪神電鉄の宣伝効果もあり初詣が定着したのでは」と吉井良英権宮司(57)。05(明治38)年、阪神は大阪-神戸間を開業し、神社のそばに駅ができた。

 九州産業大の平山昇准教授(41)=日本近代史=によると、明治期以降、各地の鉄道会社がレジャーを兼ねた正月参詣などを呼び掛けたことで、年中行事としての初詣が広まった。「初詣は、鉄道が生み育てた比較的新しい文化」なのだ。

震災で寸断 地下駅復旧に全力
初詣客でにぎわう湊川神社。最寄りの高速神戸駅の看板が見える=神戸市中央区多聞通3
初詣客でにぎわう湊川神社。最寄りの高速神戸駅の看板が見える=神戸市中央区多聞通3

 今年も、各地の神社は初詣客でにぎわった。高速神戸駅に近い、湊川神社(神戸市中央区)もその一つ。大阪、姫路方面からも鉄道を利用して大勢の人が訪れた。

 かつて阪神、阪急、山陽、神戸電鉄の神戸市内のターミナルは、ばらばらにあった。その4社をつないだのが、神戸市の外郭団体として1968年に開通した神戸高速鉄道。軌道や駅はあるが車両は持たない画期的な“地下鉄”で、各社の相互乗り入れを実現した。姫路や有馬温泉と神戸、大阪が結ばれ、「鉄道と鉄道をつなぐ潤滑油になった」と八畠(やはたけ)敦取締役(53)は胸を張る。

 だが、24年前の阪神・淡路大震災で、レールは寸断される。大開駅(同市兵庫区)直上の国道が陥没し、駅は壊滅的被害に遭う。地震の直前、三宮方面行き山陽特急が通過していた。「まさか、と思った。地下構造物は地震に強いと信じ込んでいたので」。当時、神戸高速鉄道の技術部で復旧を担当した井上真次さん(58)が述懐する。

 崩れ落ちたがれきを二次被害のないよう撤去するなど、前例のない作業が不眠不休で続いた。「なしても(何としても)」。この合言葉が社員や工事担当者の心を一つにした。

 7カ月後の95年8月、全線開通したが、大開駅は通過扱いに。駅の再開は96年1月17日までずれ込んだ。いち早く復旧したJR西日本に乗客を奪われるなど震災の傷痕は深いが、開業半世紀を経た神戸高速の“潤滑油”としての役割は変わらない。

淡路鉄道、島の発展に貢献
淡路鉄道の線路橋の痕跡が残る場所で語る市川富夫さん=南あわじ市榎列松田
淡路鉄道の線路橋の痕跡が残る場所で語る市川富夫さん=南あわじ市榎列松田

 神戸と淡路島、四国を鉄道で結ぶ計画は古くからあった。約半世紀前まで、洲本-福良間を電車が走っていたが、その記憶も消えつつある。

 淡路鉄道の元運転士、市川富夫さん(83)=南あわじ市=と痕跡を探す。素人には分からないが、川沿いでは「ここが線路橋の跡」。田んぼに降り立ち「線路の床です」。迷うことなく、指さした。

 市川さんは、家庭を支えようと洲本高校を中退し、51年、15歳で淡路交通(旧淡路鉄道)に入った。駅員や車掌を経て、運転士になった。

 「いろんなにおいがしたもんです」。農家に魚を売るために乗り込む行商人がいた。牛の飼料やタバコの葉も運んだ。昭和30年代には、鳴門の渦潮を楽しむ観潮船に合わせた観光列車が神戸から訪れた客で満員となり、整理券を渡すほどにぎわったことも懐かしい思い出だ。

 だが、モータリゼーションの波には勝てず、鉄道はバスにバトンを渡す。最後の営業となった66年9月30日。市川さんは福良から洲本まで運転した。沿線や駅で、市民らが紙テープを延ばして別れを惜しんだ。

 「鉄道が人と物の交流を生んだ。淡路鉄道がなかったら、島の発展はなかった」。市川さんの言葉には運転士としての誇りがにじむ。

 85年に大鳴門橋(おおなるときょう)、98年には明石海峡大橋が開通。淡路交通はバスで海を越えた。

廃線跡がつなぐ人の想い
山陽電鉄別府駅の下を通る遊歩道は別府鉄道の線路跡だ=加古川市別府町別府
山陽電鉄別府駅の下を通る遊歩道は別府鉄道の線路跡だ=加古川市別府町別府

 兵庫県播磨町が整備した遊歩道「であいのみち」は、JR土山駅のすぐ西から始まっていた。同町や加古川市を走り、84年1月末に廃線となった別府(べふ)鉄道の線路跡だ。

 別府港(加古川市)の近くにあった肥料会社「多木製肥所」(現多木化学)の創業者が製品運搬のため、私財を投じて土山線、野口線を敷設した。

 野口線の円長寺駅跡近くに、貴重な鉄道遺産がある。同線を走った車両「キハ2号」。その保存、修復を手掛ける市民団体がある。

 同県猪名川町の会社員誉田(こんだ)勝さん(60)が呼び掛けた。地元や神戸、大阪などから集い、2013年から車両の清掃や修理に当たる。資金はインターネットから募る「クラウドファンディング」で、全国から400万円以上が寄せられた。

 車両の通過音から「多木のガッタン」の愛称で親しまれた同鉄道。誉田さんは廃線間際、何度も乗った。「レトロな車両で、何としても記憶にとどめたかった」。廃止から約30年がたち、屋外にあったキハ2号は朽ちていた。解体のうわさを聞き、加古川市に保存活動を申し出た。

 「廃線になったから終わりじゃない。記憶をどうつないでいくか」。廃線跡のウオークや鉄道写真展も企画し、次代へ受け継いでいく。

 人を運び、歴史を刻んできた鉄の轍(わだち)は、この世から去ってなお、かけがえのない時間と出会いをもたらしている。

(記事・上田勇紀 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

余白の余話
神戸新聞NEXT
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 淡路島で生まれ育った。幼いころ、電車は船で明石へ渡ってから三宮へ向かって乗る、特別な乗り物だった。まだ明石海峡大橋がなかった時代。時間はどこかゆったりと流れていた。

 橋ができて島は「陸続き」となり、神戸にもバスで気軽に行けるようになった。もし、この橋を電車が通っていたなら、四国とも鉄路で結ばれていたなら。島は一体、どんな道を歩んだだろう。兵庫の各地で、人と人を結びつけてきた鉄道に接し、しばし想像してみる。

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