(2)妻の死
2019/06/13 05:30
アルバムをめくり、妻と訪れた温泉旅行を思い返す=加古川市内
祖父の代から続く兵庫県加古川市内の一軒家に一人残された。上山和史さん(72)は6年前、妻裕子さん=いずれも仮名=と死別。まだ63歳の若さだった。
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胃がんと診断されたのは2012年11月。医師から「必ず治る」と言われていたのに、手術を終えた医師は「余命半年です」。
怒りと悲しみが渦巻いた。和史さんは定年退職を迎え、裕子さんと有馬温泉や香港を旅行。これからもっと2人で楽しもう。苦労をかけた妻に報いよう。そんなふうに思っていた頃だった。
「余命を宣告されてからは、あと180日、あと179日と数えるんです。追い詰められるような気持ちになって夜は目がさえて寝付けない。睡眠薬も効きませんでした」
和史さんの食は細り、ズボンのベルトは二つ分小さくなった。半年で10キロ以上落ちた。
「息子、娘と相談し、がんを告知しませんでした。だから見舞いに行っても不眠だとは言えない。病室の椅子に座って、うつらうつらしてしまうと夜また寝られなくなる」
裕子さんは年明けに退院し、抗がん剤治療に移ったが、13年2月に容体が急変。初診から106日目に亡くなった。結婚約40年。家事、子育て、同居していた両親の介護も任せきり。よく「あなたより長生きしてぜいたくするから」と言って笑っていた。先に逝くとは思ってもいなかった。
二人の子どもは独立。妻の料理を囲み、家族6人の笑い声が響いたわが家には、和史さんしかいない。
「どうやって生きていったらいいのか分からない。布団に入って『このまま永久に眠れたら楽やろうな』って思うんです。無理に寝ようとしても余計に寝られない。昼間は何もする気が起きなくて誰とも会いたくない。友だちは電話をかけてくれたけど、ほうっておいてほしかった」
不眠に関する書籍を手に取るようになった。半年後、1冊の本を見つけた。国立がんセンター名誉総長の垣添忠生さんが、肺がんの妻を亡くした体験をまとめた「妻を看取る日」。不眠、食欲減退に襲われ、睡眠薬に頼る。仕事に没頭することで心を落ち着かせた医師に自らの姿を重ねた。
「同じような経験は自分だけじゃない。それまでは一人だけの世界に入っていたけど、娘と息子も急に母親を亡くして悲しんでいる。父親がふさぎ込んだままやったらあかん」
様子を見に来てくれた姉にも「みそ汁ぐらい自分で作らな」と叱られた。コンビニエンスストアや宅配サービスの弁当に頼っていた食事をあらため、姉から料理を教わった。煮物、焼き魚、卵焼き…。どれも妻には及ばない。
医師の本をきっかけに「自分だけじゃない。妻の死を受け入れないと」と自分に言い聞かせるようになった。友人から旅行の誘いがあれば参加するようにしている。ただ、今も週1、2回は睡眠導入剤を服用する。
「すぱっと気持ちが割り切れたわけじゃない。『妻を先に死なせてしまった』という罪悪感は消えません」(若林幹夫)