受け継がれる「命」 阪神・淡路大震災から18年
2013/01/17 05:01
アルバムを開き、歩みを振り返る李唯衣さん(中央)。両親(両端)と、妹の礼衣さん(右から2人目)、亜衣さん(左から2人目)に囲まれて=神戸市長田区堀切町(撮影・吉田敦史)
きょう、彼女は18歳の誕生日を迎えた。家族とともに。
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「生年月日を言うたびに驚かれます。もう慣れましたけど」。朗らかな顔で笑うのは、神戸市長田区に住む神戸国際高校3年、李唯衣さん。阪神・淡路大震災が起きた日、産声を上げた。
1995年1月17日午前5時40分。唯衣さんの父英民さんと母朴共代さんは、神戸市中央区の実家で目を覚ました。たまたま、英民さんは早朝から仕事があった。「何か飲む?」。共代さんが聞くと、英民さんは「紅茶」と答えた。普段は何も飲まないのに。共代さんは不思議に思いながら、台所に立った。
その6分後、激震が襲う。食器が次々と落ちてきた。共代さんはおなかを抱えてうずくまった。「この子を守らなきゃ、守らなきゃ」。さっきまで寝ていた布団には、大きな本棚が倒れ込んだ。
予定日を2週間も過ぎ、この日から入院予定だった。おなかに刺すような痛みが走る。近くの病院に行くと「けが人が大勢運び込まれ、対応できない」と断られた。電話帳をめくり、夕方、北区の病院にたどり着いた。
突然、胎児の心拍数が下がり始める。やがて、一時停止した。余震が続く中、緊急の帝王切開手術により、唯衣さんはこの世に生を受けた。
小学校に上がるまで、「希望の象徴」としてメディアで何度も紹介された。あの日のことは何も覚えていない。不思議な感覚だった。
10歳の誕生日。東遊園地を初めて訪れた。遺族の姿を見て、この日に生まれた意味が少し分かった気がした。
東日本大震災の後、高校の生徒会で話し合い、街頭で募金活動をした。「頑張ってね」。声をかけられると、気恥ずかしさは消え、力が湧いた。
「被災地を思う心って、ろうそくの火みたい。一人ならすぐ消えてしまうけど、誰かに火を移していけば消えない」
毎年1月17日が近づくと、両親は当時の記事を読みながら涙を流す。その姿を見て育った。
「あの日、何かが一つでも違っていたら、私はここにいなかった。亡くなった人の分も、しっかり生きないと」
受験勉強に打ち込む日々。大学の農学部に入って、微生物を研究するのが、いまの夢だ。
阪神・淡路大震災から18年。受け継がれる「命」をかみしめる。
(上田勇紀)