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震災遺児1995・2011 春菜、佳祐の物語

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面影追って(撮影・峰大二郎)
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面影追って(撮影・峰大二郎)

面影追って(撮影・峰大二郎)

面影追って(撮影・峰大二郎)

【春菜の物語 両親の「死」打ち明け涙】

 8歳の春菜は、神戸市北区にある母の実家へ引き取られた。東灘区の自宅が倒壊。父勝俊と母純=いずれも当時(36)=を亡くし、祖父母と叔母のもとで新しい暮らしが始まった。

 北区の家は、開業医の祖父が設計した広い一軒家。そこは母の思い出であふれていた。柱には背丈を刻んだ傷。幼いころからの成長ぶりが浮かぶ。洗面所には、母のためのタオル掛けがあった。

 春菜は幼いころの母とうり二つ。祖父はよく、「春菜」を「純」と呼び間違えた。

 東灘区の魚崎小学校から北区の南五葉小学校へと転校した。東灘区からの転校生はほかにもいたが、両親を亡くしたのは春菜だけ。多くの子どもは避難所にも行っていない。親がいないことをずっと隠していた。

 つらかったのは参観日だ。同級生はみんな母が見に来た。春菜は叔母に見に来てもらい、友だちの前では「ママやで」と説明した。

 父の職業を調べて発表する授業も嫌だった。春菜は担任教諭に相談し、祖父に職業を聞いて「お医者さん」と発表した。

 友だちと話していて、親の話題になると、「うん、うちもそんな感じ」と話を合わせた。

 春菜は、姉綾香を引き取った東灘区の父方の祖母に連れられ、綾香と一緒に「あしなが育英会」のつどいに参加するようになる。遺児を支援する団体だ。そこで初めて、自分と同じように震災で親を亡くした子どもと出会った。

 だが、両親を亡くした子どもと出会った記憶はない。春菜は自分とまわりを比べてしまう。

 「いいなあ、パパかママのどっちかがいて」

 「なんでうちだけ両方なん」

 いつもそう思っていた。

 高学年になると、あしなが育英会で地震の日のことを話すプログラムが始まった。班ごとに輪になり、一人一人、地震の日の出来事を話していく。最初は班ごとにボールを回し、受け取った子が「地震で誰々を亡くしました」と言う、それだけ。

 何度か重ねるうちに、春菜と同年代でも詳しく体験を語る子が出てきた。

 春菜にはできなかった。

 震災から3年たった5年生のとき。4年生の女の子が、父を亡くした日のことを泣きじゃくりながら、懸命に語った。

 「年下の子でも、人に言えるくらいに、自分の中で整理できてるんや」

 自分だけが8歳のまま、取り残されている。ぐずぐずしてはいられない-。そう思った。

 順番が回ってきた。春菜はあの日のことを初めて、人前で語った。パパとママの死を認めたくない思いを、必死にこらえて。

 春菜の目から、涙がこぼれ落ちた。

=敬称略=

(上田勇紀)

2013/1/16

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