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震災遺児1995・2011 春菜、佳祐の物語

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ぬくもり(撮影・峰大二郎)
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ぬくもり(撮影・峰大二郎)

ぬくもり(撮影・峰大二郎)

ぬくもり(撮影・峰大二郎)

【春菜の物語 思春期、心の整理つかず】

 テレビをつけると、昼のニュース番組が神戸・東遊園地の様子を映し出した。

 17日朝、鎮魂の竹灯籠の火が揺れる。息子を亡くした男性が「これからも供養を続けていく。それが使命なんや」と語る。

 長野春菜=旧姓・吉田=は東京都北区の自宅マンションで、じっとその映像に見入った。

 「1・17って1年の区切り。その区切りが18回にもなるなんて」。そんな感慨があった。

 18年前、神戸市東灘区の自宅が全壊。両親を失い、助け出された姉と別れて祖父母らに育てられた。

 8歳だった少女は26歳に。「震災を乗り越えないと」と悩んだこともあったが、この18年で、自分らしく自然体で生きられるようになったと思う。

 小学5、6年生のころ、春菜は、4歳上の姉綾香とともに、取材を受けたことがある。

 記者たちの問いかけには、綾香を引き取った祖母が答えた。仏壇に手を合わせて目を閉じているシーンを撮影されたことがある。幼心に「マスコミからしたら、“おいしい”場面なんやろな」と思った。

 「クリスマスプレゼント、何がほしい?」。そう叔母に問われ、「パパとママ」と答えたことがある。「そんなん無理」と分かっていても、言ってみたかった。

 春菜は中学生になった。1月17日のことを語るのがうまくなっていく自分がいた。「あしなが育英会」のつどいに参加して、遺児の前で語る。もう泣き出すことはなかった。

 「地震の日の出来事があって、両親の死を知った瞬間があって、でも、あしなが育英会で大切な人に出会って、今は頑張って生きています-みたいな」

 そんな“ストーリー”が、春菜の中でできていく。

 「ほんまかな」

 違和感が沸く。

 「それって、ほんまに自分の中で整理できてる証拠なんかな」

 高校に入ってから、休部状態だった合唱部を、友だちと再開させた。歌をよく口ずさんだ母に似て、歌うことが好きだった。

 だが、高校3年になると、時々学校を休むようになる。電車をわざと乗り過ごし、梅田へ。そして今度は姫路へ。電車で行ったり来たり。そうやって1日を過ごすことが増えた。

 なぜそんなことをしたのかは分からない。ただ一つ、自分にこんな言い訳をしていた。

 「両親おらんし、これくらい許されるんちゃうかな」

 春菜は音大短期大学部を卒業した後、東京へと向かう。特別な目標はなかった。「神戸から離れてみたい」と思っただけ。

 その東京での暮らしが、春菜にとって大きな転機となる。

=敬称略=

(上田勇紀)

2013/1/18

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