連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

震災遺児1995・2011 春菜、佳祐の物語

  • 印刷
娘とともに
拡大

娘とともに

娘とともに

娘とともに

【春菜の物語 「できる。うちにも」】

 東京に住んで1年半がたった。春菜は、アルバイトをしていた焼き肉店で、勝太(しょうた)と出会う。年齢は一つ下。当時、大学4年生だった彼は、よくこの焼き肉店に食べに来た。

 優しさにひかれた。山梨県出身で、阪神・淡路大震災のことは何も知らない。8歳で両親を失い、祖父母らに引き取られたことを告げても、深刻ぶらず、普通に受け止めてくれた。

 結婚を意識するようになった2011年9月、妊娠が分かる。「どうしよう」。神戸市北区の祖父らに報告できなかった。

 ある夜。夢を見た。

 父がいる。寝そべって、こちらに背を向けてテレビゲームをしている。

 「パパ」

 春菜は、思わず声を上げる。届かない。「パパ、パパ」。春菜は何度も叫ぶ。けれど、いつまでたっても、振り向いてくれない。

 そこで目が覚めた。

 心にぽっかりと穴が空いたような気がした。「震災を思い出すことも、さみしいって思うことも、なくなっていたのに」。布団の上で、春菜は声を出して泣いた。

 どこまでも震災が追いかけてくる。逃れられないと思った。

 「早く言わないと」。祖父は体調が悪化し、寝たきりで過ごす日が増えていた。「年越されへんわ」。弱々しい祖父の声を電話で聞き決心した。

 春菜は写真館に行った。ウエディングドレスを着て、勝太と一緒に撮ってもらった。祖父の家と、姉綾香を育ててくれた東灘区の親類へ送った。「入籍しようと思ってる」。そう書いた手紙を添えた。

 12年2月29日。春菜と勝太は、婚姻届を出した。

 出産が近づくにつれ、怖くなった。どれだけ苦しいんだろう。想像すると息が詰まる。

 「帝王切開にして」。あまりに怖くて、東京の病院でそう頼むと、断られた。医師に「しっかりしろ」と叱られた。

 母純(享年36)の姿が思い浮かんだ。自分と同じくらい小柄だった。3500グラムと大きかった自分を、難産の末に産んだ。

 「できる。うちにも」

 4月22日。春菜は長女の小梅を産んだ。

 2日後。祖父に電話をした。「よかったなあ。よう頑張った」。衰弱し、声を出すことも困難になっていた祖父が、しっかりとした声で祝ってくれた。

 小梅をみんなが笑顔で囲む。自分が生まれた時も、こんなふうに笑顔にあふれて、祝福されたのかな。春菜は、小梅に幼い日の自分を重ね合わせた。

 自分を置いたまま逝った両親を、責めたこともあった。でも、春菜はこの時、気付いた。

 「小梅をいとしいと思う気持ちと同じくらい、パパとママはうちを愛してくれていたはずや」

 そう思うと、ほっとして、力がわいた。

=敬称略=

(上田勇紀)

2013/1/20

天気(8月18日)

  • 33℃
  • 27℃
  • 20%

  • 35℃
  • 23℃
  • 30%

  • 34℃
  • 27℃
  • 10%

  • 36℃
  • 26℃
  • 20%

お知らせ