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震災遺児1995・2011 春菜、佳祐の物語

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小さな胸に(撮影・峰大二郎)
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小さな胸に(撮影・峰大二郎)

小さな胸に(撮影・峰大二郎)

小さな胸に(撮影・峰大二郎)

【佳祐の物語 「つらいと言って」と伯母】

 東日本大震災から2カ月が過ぎた。両親と祖母、姉を津波で亡くした辺見佳祐(けいすけ)は、宮城県石巻市立湊小学校の2年生になった。

 校舎が被災して使えないため、川を挟んだ向こうにある住吉中学校までスクールバスで通う。湊小学校約140人の児童がここで学んでいる。

 担任の武川雄三(49)には気掛かりがあった。休み時間や放課後になると、佳祐が目を腫らしてやってくる。

 「ごめんしても許してくれない」「あっち行けって言われた」…。同級生とのささいなやりとりで、すぐに涙をこぼす。

 武川は1年生で佳祐を受け持っていない。震災の影響なのかどうかは分からなかった。ただ、2年生の中で、毎日のように泣きだすのは佳祐だけ。武川の目には、佳祐が「何かをきっかけにして泣きたがっている」と映った。

 武川は毎朝、クラス全員に1日のめあてを書かせ、一人一人に発表させる。一日一日を大切に過ごしてほしい、との思いからだ。いつしか、佳祐のめあては「泣かない」になった。来る日も来る日も、佳祐は「泣かない」と書いて発表した。

 「僕の家族、死んじゃった」

 いつだったか、友だちにそう話したことがある。家族を亡くしたことを隠す様子はなかった。クラスには佳祐のほかに2人、震災で親を亡くした子どもがいた。「自分だけじゃない、という思いもあったのかもしれない」。武川はそう振り返る。

 佳祐の自宅は、1階の車庫と物置が津波に漬かったが、2階の住居部分は無傷で済んだ。家族で経営していた隣の自動車整備工場も修理で対応できた。仙台で暮らしていた伯母の日野玲子(53)は仕事を辞めて移り住み、工場の代表取締役となって再開を急いだ。佳祐の里親にもなった。

 このころ、佳祐は玲子が待つ自宅に帰ると、すぐさまテレビに向かった。震災前に録画した「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」のビデオテープをセットすると、食い入るように見つめる。どれも、佳祐が小学校に入学する前に好きだったアニメだ。

 夕食を挟んで、夜10時、11時までビデオを見続けることもあった。玲子が「もう寝なさい」「ニュースを見よう」と言っても、聞こうとしない。

 テレビ番組は震災報道で埋まっていた。「震災前のものに触れることで、安心したいんだろうか」。玲子は思った。

 目に見える変化といえば、それくらい。「つらい」とも「さみしい」ともこぼさない。玲子の前で泣くこともなかった。

 どんな思いで毎日を過ごしているのだろう。玲子は佳祐の気持ちをはかりかねた。

 「つらいなら、つらいって言ってくれたほうがいいのに」

 目立った変化のないことが、玲子にとっては逆に不安だった。=敬称略=

(上田勇紀)

2013/1/15

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