刻まれたいとしき人の名 慰霊と復興の碑
2013/11/18 17:18
母親の銘板に触れる山本文子さん(左)と夫の恒雄さん=17日午後、神戸市中央区加納町6(撮影・宮路博志)
阪神・淡路大震災の犠牲者ら13人の名前が新たに刻まれた神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」。いとしき人の名を、参列した遺族がそっとなで、目を閉じた。
初めて背中を流してあげた母親が、2週間後に突然逝った。「慰霊と復興のモニュメント」に参列した女性は、掲げられた母の名にそっと手を触れた。「これからはいつでも会えるね」。少し肩の荷が下りたように、穏やかな表情を浮かべた。
神戸市北区の山本文(ふみ)子さん(73)。弟家族と同居していた母の南川久乃さん=当時(83)=は芦屋市津知町の自宅1階で建物の下敷きになり、引き出されたのは2日後だった。
5人の子どもを育て上げた優しい母親だった。老後は、家族総勢21人が集まる月1回の食事会を、何よりも楽しみにしていた。
「正月は泊まりに行っていい?」
震災前の年末、日帰りしかしたことのない久乃さんからお願いされた。足が弱っていた久乃さんと風呂に入った。髪を洗ってあげると、「幸せやな」と笑顔だった。きょうだいのこと、日々の食事のこと。湯船につかって語り合った。「あれがお別れだったのかな」
震災後は、忙しさのあまり悲しむ暇もなかった。時間がたち、震災報道に触れると「2日間出してあげられなくて、寒かっただろうな」と胸が痛んだ。
墓は芦屋にあるが、神戸に銘板があれば来やすいと思い、昨年末に申し込んだ。式典には久乃さんの遺影を持って参列。「孫もできたよ。みんなを見守ってね」。そう伝えた。
(斉藤絵美)
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震災で孫娘の桜子ちゃん=当時(6)=を亡くし、2009年の大みそかに75歳で他界した加賀幸夫(ゆきお)さんの名前も刻まれた。
神戸市東灘区森南町1の自宅は全壊。桜子ちゃんの隣で寝ていた幸夫さんは「おじいちゃん、苦しい」という声を聞いた。初孫を助けられなかったことを悔い、「死んだら一緒に納骨してほしい」と話していたという。
曲折を重ねた復興土地区画整理事業で、市との交渉に奔走するなど、まちづくりに関わり続けた。
桜子ちゃんの名前は当初からモニュメントにある。幸夫さんの長女で桜子ちゃんの母翠(みどり)さん(58)は「これからはずっと一緒。2人とも喜んでいると思う」と穏やかな表情で話した。
(上田勇紀)