「安全で安心なまちを築く」 神戸市追悼式典

2014/01/17 16:40

遺族代表としてあいさつする上西勇さん=17日午前5時56分、神戸市中央区の東遊園地(撮影・峰大二郎)

 神戸市などが主催する「1・17のつどい」は、午前5時から神戸・三宮の東遊園地で開かれた。 関連ニュース 加美中ソフト部、県総体初優勝 近畿大会へ 明石の抽象画家が個展 銅版画など19点展示 たばこと健康考えるフォーラム 神戸でWHO開催

 竹灯籠のろうそくに1本、また1本と火がともされると、夜明け前の暗がりに「1・17」の文字が浮かび上がった。午前5時46分、訪れた約5千人が静かに手を合わせ、犠牲者の冥福を祈った。
 「慰霊と復興のモニュメント」前での式典では、震災で弟を亡くしたゴスペル歌手森祐理さんが「しあわせ運べるように」を独唱。遺族を代表し、父を失った上西勇(いさむ)さん(86)=同市東灘区=が追悼の言葉を述べた。
 久元喜造市長は「備えを怠ることなく、安全で安心なまちを築く」と決意を述べた。矢田立郎前市長も献花した。
 東日本大震災の犠牲者も鎮魂するため、会場では午後から竹灯籠で「3・11」と描き、発生時刻の午後2時46分に黙とうをささげる。(田中陽一)
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【遺族代表のことば】上西 勇さん(86)

 激しい上下動が収まった静穏の瞬間、今度は前にも増した激しい横揺れにより全ての物が沈黙した悪夢の平成7年1月17日5時46分は生涯忘れることができない。寝たきりの父親の枕元に倒れかかった洋服ダンスはベッドの柵が防いでいた。
 翌18日、上空のヘリコプターのスピーカーから「第2工区の液化天然ガスタンクに亀裂が入り爆発の危険あり。国道2号線以北へ避難…」との放送が耳に入った瞬間、身の凍る思いがした。歩行もできない父を寒空の下、避難させなければならなかったが、その方策を見いだせなかった。いぶかしがる父に避難を告げ、女房と協力して布団のまま移動した。隣人の「甲南大学へ行こう」の声で移動し、テーブルを並べた上に父を横たえたが、おびえているのか、父のうわ言が耳に入る。
 父の容体も安定したかに見えたが、22日に様子が急変し、かかりつけの開業医を捜し求め奔走した。肺炎だった。植木職人として80歳まで働き続け、腰を痛め寝たきりとなって以来は母と女房で、母が入院後は女房と共同で父の面倒を見ていたが、震災という厳しい環境の変化に順応できず95歳の生涯を終えた。
 「わしが100まで生き、おまえが先に死んで」とたわいもないことを時に言い、「長生きをしていいのやら悪いのやら」と、兄弟を亡くした寂しさからの口癖にほろりとさせられた。100歳まで生き抜こうとした父の信念を力にし、「亡くなられた多くの方々も父と同じように大きな夢、小さな夢を抱き旅立たれた」との思いから、被災地に建立された慰霊碑の巡礼を始め、今日に至っている。
 慰霊碑は「私たちと同じような目に遭わないでください」と無言で語りかけてくるようで、「災害を少しでも減らすように取り組んでください」という遺言のように思えてならない。旅立たれたみ霊の鎮魂を祈り、残されたご家族が、亡くなられたみ霊に見守られ健やかに歩まれますことを祈念し、追悼の言葉と致します。(要旨)
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【追悼のことば】久元喜造・神戸市長

 国内外からの大きな支援をいただきながら、神戸の街は復興への道を歩み続けてきました。震災の経験、教訓を風化させないよう広く国内外に発信し後世に語り継いでいくことが、神戸の街づくりに携わる者の使命と考えています。東日本大震災から3年を迎えようとしています。神戸だからこそできる被災地への心をつなぐ支援を引き続き行ってまいります。震災への備えを怠ることなく安全で安心な街を築くことを決意します。(要旨)

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