阪神・淡路大震災から19年 1・17ドキュメント

2014/01/17 21:42

ペットボトルの灯籠で、「1・17 ながた」の文字が浮かび上がった=17日午後7時、神戸市長田区若松町4(撮影・峰大二郎)

5・46 関連ニュース 長田の「シューズプラザ」 神戸の住宅会社に売却 神戸で全日本広告連盟大会 京都や新潟の取り組み表彰 阪神・淡路大震災劇、再演始まる 石田純一さんも

 東灘区・魚崎わかばサロン 慰霊祭。主催団体の会長、永島長一郎さん(80)は、母政枝さん=当時(85)=を亡くした。「穏やかな優しい人だった。助けられなくて申し訳なかったと今でも思う。当時を知らない人に伝えるためにも、慰霊祭は続けなければ」と誓った。
 灘区・琵琶町公園 ドラム缶のたき火に照らされ、約60人が黙とう。自治会役員として献花用の白菊を手渡した市川千鶴さん(66)は、全壊の自宅に半日閉じ込められ、義母たけさんを亡くした。「がれきの下の暗闇は今も鮮明に浮かんでくるし、ストレスから出た持病で通院を続けている。でも、私は生かされた。人の役に立ちたくて、19年の日々を歩んでこられた」。自らも花をそっと手向けた。
 長田区・日吉町のポケットパーク だいち小児童が作った灯籠に火が入り、ほら貝の音と読経が響く中、約50人が静かに手を合わせる。近くの池田美代子さん(69)は地震の半年後に夫を亡くした。「震災関連死」と認められた。「夫はまちの再建に奔走していました。私は元気と伝えたい」と手を合わせた。
 須磨区・千歳公園 震災前から立つメタセコイヤの木の前にろうそくを「1・17 ちとせ」の形に並べた。千歳地区では建物の95%が焼失し、47人が亡くなった。約40人が黙とう。同地区連合自治会長で、地震後の火災で自宅と職場を失った埴岡秀行さん(75)は「19年たってもあの悲惨な光景は忘れない。思い出したくもないが、災害はまた起きる。被害を最小限に食い止めるため、経験した者がきちんと伝えていかなければ」。
 西宮震災記念碑公園 犠牲者の名前が刻まれた「追悼之碑」の前で、約300人が黙とう。白いカーネーションを手向けた。いとしい人の名前を見つめ、涙ぐむ人の姿も。宮崎久子さん(79)は母やすのさん=当時(88)=を亡くした。手を合わせ、「生活は持ち直せても、気持ちは持ち直せない」。
 淡路市・北淡震災記念公園 約200人が黙とうし、「見上げてごらん夜の星を」を合唱。同市で同級生の妹、日野葵さん=当時(11)=が犠牲になった指揮者の藤岡まゆみさん(37)=西宮市=は「亡くなった方たちはきっと、生きている人を見守ってくれている。誰かを癒やし、幸せを願う。そんな思いを歌に込めた」と語った。
 明石市・錦江幼稚園 「大震災を憶える集い」に集まった住民ら20人が黙とうをささげる間、パチパチとはぜるたき火の音が響いた。同市内で被災した主婦玉木鈴子さん(61)は「あの揺れは忘れられない。また大きな地震が来るんじゃないかと、毎年不安が増します」。
 兵庫県庁 防災服姿の井戸敏三知事ら県幹部25人が黙とう。「自由の鐘」を鳴らす。「何が起こるか分からない、想定外が当たり前という前提で、未来のリスクに備える必要がある」と知事が訓示。非常食を試食し、防災の課題などを話し合う。
 岩手県陸前高田市 神戸から分灯された「希望の灯り」がある高台で、東日本大震災の被災者らが黙とう。菊を供えた後、ろうそくに火を付けた。
5・15 神戸・三宮 多くの人たちが駅から東遊園地に向かって歩く。小さな子の姿も。西の空に明るい月。気温5度。
5・20 中央区・東遊園地 「1・17のつどい」の会場で竹灯籠にぽつぽつと火がともる。灘区の竹場房江さん(80)が、1歳2カ月で亡くなった孫の瞳ちゃんの思い出をたどる。明るい活発な子だった。生きていれば、今年が成人式。「振り袖姿、きれいやったと思う。代わってやれるもんなら代わってやりたかった」。小さな明かりを見つめる目に涙がにじんだ。
5・30 中央区・ビーナスブリッジ 追悼式で神戸在住の詩人玉川侑香さん(66)が即興の詩を朗読。「あの日から19年、あなたはどこかで私を見ている」。その後、希望の鐘の音とともに黙とう。トランペット奏者が「ふるさと」などを演奏し、寒空に参加者の合唱が響く。
5・40 長田区・神戸の壁跡 犠牲者17人の名が刻まれた記念碑にカーネーションを献花。80歳だった母を亡くした荻原幸子さん(72)は「震災10年を過ぎたころから心の整理がつくようなった」と振り返る。一方で「毎年1月に入ると、なんとも言えない気持ちにもなる。生涯忘れられない」とつぶやいた。

6・15 兵庫区・川池公園 震災で母、兄とともに焼け出された長尾保則さん(58)が、初めて慰霊祭に参加した。「19年がたち、生活がやっと落ち着いてきた」。東遊園地の「希望の灯り」から分けられた火が照らす石碑の前で、平穏を祈った。
6・30 長田区・御蔵北公園 震災後、供養を続けてきた熊本県上天草市・地蔵院の荒木正昭住職(54)は「地域の方々の癒やしにつながれば」。諸葛英吉さん(65)は1人で公園を訪れた。入院中の父=当時(89)=が大阪に転院し、1週間後に他界。「前を向こうと、自分に言い聞かせてきた19年でした」
7・20 神戸市役所 最大震度7の地震が発生-との想定で災害対策本部の訓練。19年前の火災映像などを使い、幹部らが被害状況を報告した。久元喜造市長は「皆さんの経験や苦労を、私も含めて震災を知らない職員に伝え、組織の力を高める必要がある」と訓示した。
7・25 東灘区・中野南公園 住民の黙とう後、本山南中の生徒会12人が来訪。「命」と刻まれた慰霊碑のそばに、全校生徒で作った千羽鶴をささげた。「震災で犠牲になった方たちに恥じない生き方をするという誓いを込め、鶴を折った」と生徒会長の2年角征司朗君(14)。
8・05 豊岡市・静修小 抜き打ちの避難訓練で地震の再現音が鳴り響き、全校児童55人が机の中に潜る。やがて訪れた静寂の中、座布団を頭にかぶり、担任の指示で避難。1年の井垣凪沙さん(7)は「怖くて、おしゃべりもできなかったよ」。
8・45 東京・首相官邸 閣僚らが続々と徒歩で参集。首都直下地震を想定した訓練で、1・17に合わせたのは初めて。安倍晋三首相も自民党本部から約600メートルを歩き、「冷え込んだが、大切な訓練ですから。危機管理に全力を尽くしたい」。
9・00 宝塚市・ゆずり葉緑地 「鎮魂之碑」前で献花が始まる。プロ棋士を目指しながら、市内のアパートで犠牲になった船越隆文さん=当時(17)=を悼み、同門の棋士たちが花を手向けた。同期入門の山崎隆之八段(32)=大阪市=は「『1・17』は門下生が集まる日になった。船越君が私たちを結びつけてくれている」。
9・30 ポートライナー三宮駅前 「震災モニュメントウォーク」が出発。約20人が、被災した橋脚などのモニュメントや神戸市危機管理センターを見学しながら、人と防災未来センターまでの約4・5キロを歩く。震災で自宅が半壊したという灘区の渡辺貞江さん(80)は「復興の歩みを知ることができる良い機会」と感慨深げに話した。
9・50 芦屋市・芦屋公園 慰霊と復興のモニュメント前の献花台に、訪れる人たちが白い花を手向ける。自宅が全壊し、夫を亡くした女性(87)は車いすに乗って来た。市内の老人ホームで暮らす。「子どもがおらず、避難先を転々とした。19年間、ここまでよく生きてきたと思う。夫を弔えるのは私だけ。元気なうちは来たい」
11・00 中央区・三宮センター街 讃太陽像前の祭壇に、商店主や買い物客らが次々と白い花を手向ける。「今日という日に、たくさんの人で商店街がにぎわっていることが何よりうれしい」と、KOBE三宮・ひと街創り協議会の久利計一会長。
11・15 東京・首相官邸 菅義偉官房長官は「地元のみなさんの努力で、あの大災害を受けた地域が見違えるように復興を遂げた」と述べた。その上で、「国民の生命・財産を守り、安心して暮らせる社会の実現に向け、耐震化や津波対策に全力を挙げたい」と決意を示した。
11・40 西区・伊川谷工房 被災後、同区などの仮設住宅に住んでいた高齢者やその支援者らが集まり、犠牲者を追悼。合唱などを楽しみ、交流を深めた。長年一人暮らしを送る山崎勇記さん(81)は「家に閉じこもっていたら気分がふさぐが、にぎやかに集まれる場があるのはうれしいこと」と笑った。

12・00 神戸港 観光船やフェリー4隻が、一斉に追悼の汽笛。南あわじ市の福良港でも1隻が鳴らした。神戸、西宮などの商店街では店員らが黙とう。
  同  HAT神戸・人と防災未来センター前 1・17のつどい。小学生が鳴らす鐘の響きの中、約2千人が黙とうした。新成人代表であいさつに立った橘一仁さん(20)=明石市=は東日本大震災のボランティアで災害のすさまじさを知ったといい、「復興に向け、何かできないかと感じた」と話した。
12・30 神戸市役所前 市民団体などが主催する「1・17追悼・連帯・抗議の集い」。借り上げ復興住宅について、希望者全員の入居継続を求め「ようやくできたついのすみか。住民を守るために頑張るのが自治体の役割だ」などと訴えた。
13・00 中央区・なぎさ公園 要援護者の搬送などを目的とした防災訓練が始まる。助けを求める声の大きさを競う市民参加の催しも。「火事だ」と叫んで1位になった西宮市の大野園子さん(70)は震災後、懐中電灯などを枕元に置くようになった。「突然の災害に備えなくてはいけない」と真剣な表情。
13・30 尼崎市・市立南武庫之荘中学 南海トラフ巨大地震を想定した防災訓練が始まり、サイレンが響く。生徒約700人が表情を硬くし、駆け足で校舎3階以上へ。最悪の場合、市域の2割が浸水すると想定される尼崎。山岸秀年校長(56)は「中学生は震災を知らない。どうやって風化を防ぐかが課題」と話した。
同  中央区・神戸市勤労会館 阪神・淡路と東日本の被災者約50人が輪になって交流。京都に避難中の女性が「東日本大震災から3年もたっていないのに、もう関心が薄れてきたように感じる」と不安を訴えた。「声を上げ続けなければ。連帯しましょう」と励まされ、女性の表情が少し和らぐ。
14・46 東遊園地 「3・11」の形に並べた竹灯籠に灯をともし、東日本の被災者と参列者が黙とう。「東北のために祈ってくださる神戸の皆さんに心から感謝します」と宮城県石巻市の志野さやかさん(19)と仙台市の鈴木亜紀さん(19)。
15・00 同 東日本大震災で被災し、岩手県大船渡市の仮設住宅で暮らす中学生、森田礼子さん(14)と及川真子さん(13)が取材に応じる。「1・17、3・11の犠牲者のご冥福を一緒に祈ることができてよかった。大船渡は緑が豊かで、川にはアユも泳ぐ。元のように落ち着ける町に復興してほしい」
15・20 加古川市・市立山手中学 東日本大震災で妻を亡くした岩手県陸前高田市の戸羽太市長が講演した。生徒から「神戸の街を見て、どう思いますか」と質問され、「世界中の温かい支援と神戸に住む人たちの努力があって今があると思う。規模は違うが、陸前高田も神戸のような魅力のある街に復興させたい」と答えた。
16・30 中央区・ひょうごボランタリープラザ 「災害ボランティア割引制度」を実現する会の発足会見。世話人の1人で宮城県名取市の仮設住宅役員、長沼俊幸さん(51)は、神戸の街並みを見て「うらやましい」とぽつり。「津波で流れた自宅は、災害危険区域内。現地での再建ができない以上、自分にとって復興はあり得ないんです」
17・30 JR新長田駅前広場 「KOBEに灯りをinながた」の会場には、若い世代も目立つ。昨年、東京から転居してきた主婦川崎優子さん(41)は「震災当時、ボランティアに来られず、悔いがあった。長田に来たからには、私もしっかりと伝えていきたい」と語った。
17・46 長田区・若松鷹取公園 だいち小の児童が「しあわせ運べるように」を合唱。片山聖美さん(41)は、震災で亡くなった近所の“おばさん”を思い出す。「道で会うと声を掛けてくれた。おばさんのように地域の子どもたちを見守りたい」と、誓いを新たにした。
同  淡路市郡家 「防災意識高揚のつどい」。家具の転倒防止などの講習のほか、追悼式典を開いた。「絆」の文字が彫られた竹灯籠に火をともし、消防団のラッパの音が響く。夜の津波を想定、防災ライトを目指して歩く避難訓練もあった。

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