亡き母に重ねる親心 阪神・淡路の震災遺児が2児の父に
2014/12/30 09:00
母子家庭で育ち、阪神・淡路大震災で遺児になった兵庫県小野市の会社員、川畑博之さん(35)が、第2子となる長女を授かった。母を亡くしてから、20年を前に生まれた新たな命。わが子をいとおしく思った時、しつけに迷った時、母のことが浮かぶ。「お母さんに孫を見せて、親になった自分として話をしてみたかった」。歳月を重ねるほど、思いは募る。(斉藤正志)
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「なーちゃん」
今年10月12日に生まれた長女栞奈(かんな)ちゃんを呼び、抱っこしてほおずりする。柔らかさにうれしさがあふれる。
長男理玖(りく)君(2)とは、テレビの戦隊ヒーローになってチャンバラごっこ。川畑さんは大人げなくいつも勝ち、理玖君は「負けたー」と笑う。家族と過ごす時間は、心が和む。
20年前、中学3年だった川畑さんは、神戸市灘区の自宅アパートで被災した。母つや子さん=当時(45)=は友人宅に泊まり、地震発生時は1人。母は帰ってこなかった。
数日後、警察から灘区の倒壊アパートで遺体が見つかったと連絡があった。体育館で対面した遺体は、指輪に見覚えがあった。現実と思えなかった。夜、壁にもたれて座っていると、涙があふれた。
母は川畑さんが就学前に離婚し、6歳上の兄と川畑さんの2人を女手一つで育てた。
飲食店で働きながら、授業参観などは必ず来てくれた。運動会では大きな3段重ねの弁当が恒例。おにぎりや卵焼きがいっぱいに詰まり、友達と一緒に食べた。父のいない寂しさを感じたことは、一度もなかった。
川畑さんは親戚宅から高校に通い、卒業後に神戸の貿易会社に就職。11年に結婚、翌年に理玖君が生まれた。
笑うようになり、はいはいし始める。そのたび、親になった実感と喜びが、にじむようにわいてくる。栞奈ちゃんの出産には病院で立ち会い、しわくちゃの顔に感動した。
妻の両親がわが子をかわいがる姿を見ると、「お母さんやったら、どんなふうにかわいがってくれたかな」と思う。母の面影をたどることが多くなった。
毎年1月17日は神戸の東遊園地に出向く。
「子ども2人も連れて、みんなで行きたい。成長した自分を見てもらって、頑張っているよ、見守っていてね、と伝えたい」