20代の2人が追悼の言葉 震災20年の「集い」
2015/01/06 08:32
追悼の集いで遺族代表の言葉を述べる銘田奈津紀さん。会見では亡くなった母への思いを語った=神戸市役所
阪神・淡路大震災から20年となる17日、神戸・三宮の東遊園地で開かれる「追悼の集い」で、20代の2人が生きる喜びや記憶を継承する大切さなどを発信する。遺族を代表して追悼の言葉を述べるのは、母親を失った悲しみを乗り越え、美容師になる夢をかなえた女性。生後半年で被災した男性は、初めて集いに盛り込まれた「新成人代表のことば」を述べる。(田中陽一、小川 晶)
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遺族代表の銘田奈津紀さん(26)=神戸市東灘区=が被災したのは6歳のとき。同区の自宅が全壊し、母さつきさん=当時(33)=が鏡台の下敷きになって亡くなった。
風呂上がりにさつきさんと髪を乾かし合ったり、くくり合ったりするのが好きだった。震災後、一緒に暮らすようになった祖母に髪を切ってもらうと自然と笑みがこぼれた。「髪の毛を触ると人は笑顔になる」。小学生のころには美容師になると心を決めていた。
「美容師になっても一番大切な母を笑顔にできない」とふさぎ込む時期もあったが、家族らの支えもあり国家試験に合格。5年間の下積みを経て昨年夏、同区の美容サロンでカットを担当するスタイリストになった。
夢を実現して初めて迎える「1・17」。今はまず、生きている喜びをさつきさんに報告したいという。そして「携わった人を笑顔にし、その笑顔を広げる」という次の目標へ歩み出すつもりだ。
新成人代表の西宮市職員、小川和昭さん(20)=神戸市灘区=は、自宅の天井がゆがむほどの揺れも、母良枝さん(53)がこたつに入れて守ってくれたことも覚えていない。だが、小学校に入ると、「震災を経験した最後の世代」と言われるようになった。
「記憶もないのに…」という戸惑いに自分なりの答えを見つけたのが、東日本大震災。高校の友人らと取り組んだ募金活動を通じ、支え合う大切さに触れた。「避難生活で、周囲の協力がなければ(小川さんの)命はなかった」という良枝さんの言葉も実感できた。
初めて訪れる17日の集いでは「最後の世代」の代表として、思いを言葉にしようと考えている。「記憶はなくても、語り継ぐ大切さを次の世代に伝えていくことが、僕らの使命でもあると思うんです」