このまちで生きていく(下) 再現
2015/01/10 16:20
仮設住宅跡に立つ集会所「はなぞの広場」を拠点に要援護者を支援するグループのリーダー「エイトマン」たち=西明石南町1
「私は命を救えなかった。もうそんな人を出してほしくない」
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昨春、望海在宅介護支援センター長の永坂美晴(54)は、東日本大震災の被災地で住民らに語り掛けた。
20年前、永坂はJR西明石駅前の仮設住宅(50戸)で「ボランティア・はなぞの」の松本茂子(72)らと見守り活動に携わった。
家も地縁も失い、閉じこもる被災者を毎日訪ねた。1カ月、2カ月、3カ月…。次第に心を開き、縁側で雑談したり子どもの面倒を見たり、長屋のような支え合いが生まれた。
だがそんな関係も、仮設閉鎖で断ち切られた。2年後、災害復興住宅に移った高齢の夫婦が海に身を投げた。転居後、永坂に「ここでは誰とも話すことがない」と漏らしていた。亡くなる数日前にも姿を見かけたが、何もできなかった。
永坂は夫婦の死をずっと話せなかったが、支援に訪れた東北で同じ状況が起きていると知り、経験を伝えようと心に決めた。
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地域で支え合う活動は、花園地区でも進む。昨年8月、要援護者の支援を行う「ボランソルジャー」らの勉強会「命塾」がスタート。防災や認知症など8分野で、介護関係者や医師らから専門知識を学んだリーダー「エイトマン」を養成、地域に広げる狙いだ。
住民の高齢化が進み、要援護者に認知症を疑う人も増えてきた。松本は「私らが学べばもっと早く助けられるはず」と力を込める。
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松本らは今年、初めて震災追悼行事を計画した。1月17日午前5時46分、仮設住宅があった場所に700個のろうそくをともす。
20年前の震災で、神戸や阪神間ほどでなくとも、明石市民も被災した。そして、仮設住宅という「非日常」を過ごす中で、住民同士の「つながり」が培われていった。
「今も(夫婦を救えなかった)痛みは変わらない」という永坂。「だからこそ、あの時のようなコミュニティーをもう一度つくりたい」
地域で、東日本の被災地で…。阪神・淡路の経験を生かす挑戦は続く。(敬称略)
(広畑千春)
〈阪神・淡路大震災データ〉
明石市は震災後、公営住宅131戸と仮設住宅856戸を被災者用に確保した。仮設住宅は1995年3月に入居が始まり、同年9月には約1900人が生活した。97年から撤去が始まり、2000年1月に最後の入居者が転居した。