菅 共代さん (66)
防災福祉コミュニティ役員/神戸市長田区
菅 共代さん (66)
防災福祉コミュニティ役員/神戸市長田区
想像もしないことが現実に起きる。それを忘れず伝えていくのが、震災を経験した者の役目やと思ってます。
あの日、神戸市長田区の丸五市場にある自宅とウナギ専門店は、屋根の一部が抜け落ちました。幸い、半壊程度でその後も暮らせたし、主人と私、子ども3人は無事でした。でも、地域には肉親を亡くして大変な思いをした人がたくさんいました。とにかく役に立ちたくて、地震直後から小学校で避難所の運営に関わりました。
地元に防災福祉コミュニティができたのは翌年。日本海の重油流出事故や新潟県中越地震では現地でボランティア活動もしました。「震災の時のお返しを」とメンバーから声が上がったんです。東日本大震災が起きた後は、津波の避難訓練もやっています。お互いうるさいと思うぐらい続けないと、命は守れない。それを学んだのが、20年前の震災でした。
今、市場はシャッターを下ろす所が増えて、残った店で何とかつないでいる状況です。だけど、気安く声を掛け合い、困った時はお互いさまという下町が大好き。ずっとここで暮らしていけたらと思っています。(聞き手・三浦拓也)